りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

奇跡。

2010-02-17 | Weblog
今日の昼、携帯にお袋から電話があった。

祖母の意識が戻った、と。
受話器の向こうでお袋が涙声でそう言った。

しっかりと目を開け、手も自分で動かしている。
人工呼吸器を口に差し込んでいるので喋ることはできないが、
こちらの質問に頷いたり、首を横に振ったりしているという。

奇跡が、起こった。

祖母の意識は戻らないだろう、と医師から説明を受けていた。
そのような状態だからこそ、今のうちに近親の親族に会わせて
おくように・・・とのことだった。
だから僕は、先日の日記に書いたように、近親のみんなに会えるだけの
時間を神様に乞うた。
おかげで、溺愛していたひ孫は全員とはいかなかったが、僕を含めた
すべての孫、主だった親戚は、この2日でほぼ全員に会えた。

神様、願いを聞いてくれたんですね。
ありがとう。
おまけに、祖母の意識まで戻してくれるなんて・・・。
これで、“願かけ”だった日記の更新の中止は、約束通り終わらせます。

今日の夜、仕事の帰りに祖母を見舞った。
祖母は本当に意識が戻っていた。
祖母の耳元でゆっくり話す僕の言葉の一言一句に、
祖母はたしかに頷いた。

「早く元気になって、家に帰ろうね」
頷く。
「また、みんなでご飯を食べようね」
頷く。
「ひ孫たちも待ってるよ」
頷く。それまでよりも深く。
「ひ孫・・・可愛いもんな」
僕がそう言うと、祖母は頷かなかった。
そのかわり、祖母の口が動いた。

「カ・ワ・イ・イ・・・」

声は出ていない。
でも、たしかに口はそう動いていた。
それに気づいた瞬間、不覚にも僕の涙腺は緩んだ。
もう、僕は新しい言葉を祖母にかけることはできなかった。

「また、見舞いに来るから。ゆっくり休んでね」
しばらくして、僕は祖母の手を握って、そう言った。
すると、祖母はゆっくりと頷いて、また口が動いた。

「ア・リ・ガ・ト・ウ・・・」

たしかに、祖母の口はそう動いていた。
僕は、もう我慢を堪えられず、涙を流してしまった。

祖母は、どこまで快復するのだろう?
悲しいが、それについては楽観的にはなれない。
2日前の医師の説明を聞いた限り、今回のようなある程度の
快復は予想済みだったようだ。
祖母は意識は戻ったが、依然厳しい状況にあることは変わりない。
少しずつ少しずつ“その日”に向かっていることに変わりはない。

覚悟を解くことは、できない。

正直なところ、こんなに早く日記の更新が再会できるとは予想していなかった。
実は、この日記を“願かけ”だと言って、更新するのをやめると宣言した後、
今度日記を更新しはじめるのは、祖母とサヨナラをした後になるだろう、と
思っていた。
それまでは、何も書けないし、書きたくなかった。

でも、少しずつ考え方が変わってきた。

そもそもこのブログは、ささやかでも僕が生きている“証し”としてはじめた
ものだった。
僕の日常に起こった出来事を通して、自分が生きていることを確認するための
ツールなのだ。

今日、見舞った祖母の目は、ハッキリと外の世界を見ていた。
人工呼吸器頼りであっても、祖母の両胸は、しっかりと空気を吸っていた。
僕が握った祖母の両手は、温かかった。
祖母は、生きているのだ。

僕も毎日、両目で世界を見ている。
両胸で、しっかりと呼吸している。
手も温かい。
しかも、声も出せる。
僕も、生きているのだ。

“願かけ”とか何とかと講釈を垂れてブログの更新を中止するのは、絵に描いた
ような本末転倒なのではないか?
今回の祖母の出来事も、明らかに僕の日常のひとつとして起こった出来事だ。
人生の分岐点とまでは言わないけど、大きなカーブであることは間違いない。
そんな出来事を書き記しとかないで、いったい何のための「りきる徒然草」なんだ。

僕は、これからも書き続ける。
僕の生と死の間で起こる様々な出来事を。
徒然なるままに。
コメント
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