今週の日曜日、プロ野球を観戦しに行った。
場所は、新広島球場。
通称の「マツダスタジアム」と書いた方が
もう、分かりやすいかもしれない。
初めて、行った。
昨年のオープンから行きたくて仕方なかったのだが、
今年、やっと行けた。
広島 対 巨人戦。
家族で行った。
娘と息子には、事前に何度も説明したのだが、
結局、今ひとつよく分からないまま、
僕と妻についてきた様子だった(笑)
娘は、今月の26日で11歳。
息子は、明日で7歳。
奇しくも僕が初めてプロ野球の試合を観戦したのも、7歳の時だった。
今から、もう34年も前の話だ。
親父と一緒に行った。
“ちょっと仕事が残っているから・・・”と球場に行く前に、
親父の勤めていた会社に寄ったことを、今でもよく憶えている。
そこは会社というよりも、小さな事務所だった。
僕はその事務所の片隅のソファにチョコンと座って、デスクで
書類とにらめっこしている親父の仕事が終わるのを待っていた。
親父の働いていた仕事場に僕がついて行ったのは、後にも先にも、
それが最初で最後だった。
それから僕と親父は新幹線に乗って、広島に向かった。
向かったのは、当時の広島市民球場。
初めて肉眼で目にした球場は、本当に大きくて広くて、照明のカクテルライトが
見惚れるほどキレイで、僕はしばらくの間、マウンドの野球選手や観客の歓声に
でもなく、球場そのものに陶酔していた。
試合は、広島 対 中日戦だった。
中日は、星野仙一がまだ現役だった。
広島カープは、前年のリーグ優勝の余韻がまだ残っていて、古葉監督をはじめ、
山本浩二や衣笠や池谷や木下や水沼やホプキンスが活躍していた。
試合の結果は、さすがにもう憶えていない。
もしかしたら、先日の試合のようにカープが一方的にコテンパンにやられた
負け試合だったのかもしれない。
でも、そんなことは関係なかった。
試合の結果よりも、僕は本物のプロ野球、本物の球場の魅力に見事に
惹きこまれてしまっていた。
あれから、34年。
息子にとって、初めて肉眼で目にした球場はどう映ったのだろう?
まだアウトやセーフの定義もよく理解していないような息子だが、
7回のカープの攻撃では、他の観客と一緒に嬉々として風船を飛ばしていた。
帰り道“どうだった?”と息子に尋ねようと思ったが、結局やめた。
34年前の帰り道。
親父も僕に何も尋ねなかった。
僕は、初めて体験した非日常の余韻を引きずっていた。
もしかしたら親父は、子どもながら興奮している僕のことを察して、
何も訊かなかったのかもしれない・・・。
思えば、あの頃の親父は、今の僕より若かった。
たしか30代後半だったはずだ。
だけどあの頃の親父は、7歳の僕にとって、とても大きく感じた。
何ものにも代えがたい信頼感に満ちていた。
でも・・・・。
きっとあの頃の親父も、いろんな気持ちを胸の中に秘めて
生きていたのだろう。
それを子どもに見せずに、踏ん張って生きていたのだろう。
喜びも悲しみも嬉しさも悔しさも、すべてを自分一人で背負って・・・。
今ごろになって、少しだけだけど、僕にもようやく分かってきた。
もうすぐ盆休み。
実家に帰ったら、また親父と一緒に酒を飲もうか。
場所は、新広島球場。
通称の「マツダスタジアム」と書いた方が
もう、分かりやすいかもしれない。
初めて、行った。
昨年のオープンから行きたくて仕方なかったのだが、
今年、やっと行けた。
広島 対 巨人戦。
家族で行った。
娘と息子には、事前に何度も説明したのだが、
結局、今ひとつよく分からないまま、
僕と妻についてきた様子だった(笑)
娘は、今月の26日で11歳。
息子は、明日で7歳。
奇しくも僕が初めてプロ野球の試合を観戦したのも、7歳の時だった。
今から、もう34年も前の話だ。
親父と一緒に行った。
“ちょっと仕事が残っているから・・・”と球場に行く前に、
親父の勤めていた会社に寄ったことを、今でもよく憶えている。
そこは会社というよりも、小さな事務所だった。
僕はその事務所の片隅のソファにチョコンと座って、デスクで
書類とにらめっこしている親父の仕事が終わるのを待っていた。
親父の働いていた仕事場に僕がついて行ったのは、後にも先にも、
それが最初で最後だった。
それから僕と親父は新幹線に乗って、広島に向かった。
向かったのは、当時の広島市民球場。
初めて肉眼で目にした球場は、本当に大きくて広くて、照明のカクテルライトが
見惚れるほどキレイで、僕はしばらくの間、マウンドの野球選手や観客の歓声に
でもなく、球場そのものに陶酔していた。
試合は、広島 対 中日戦だった。
中日は、星野仙一がまだ現役だった。
広島カープは、前年のリーグ優勝の余韻がまだ残っていて、古葉監督をはじめ、
山本浩二や衣笠や池谷や木下や水沼やホプキンスが活躍していた。
試合の結果は、さすがにもう憶えていない。
もしかしたら、先日の試合のようにカープが一方的にコテンパンにやられた
負け試合だったのかもしれない。
でも、そんなことは関係なかった。
試合の結果よりも、僕は本物のプロ野球、本物の球場の魅力に見事に
惹きこまれてしまっていた。
あれから、34年。
息子にとって、初めて肉眼で目にした球場はどう映ったのだろう?
まだアウトやセーフの定義もよく理解していないような息子だが、
7回のカープの攻撃では、他の観客と一緒に嬉々として風船を飛ばしていた。
帰り道“どうだった?”と息子に尋ねようと思ったが、結局やめた。
34年前の帰り道。
親父も僕に何も尋ねなかった。
僕は、初めて体験した非日常の余韻を引きずっていた。
もしかしたら親父は、子どもながら興奮している僕のことを察して、
何も訊かなかったのかもしれない・・・。
思えば、あの頃の親父は、今の僕より若かった。
たしか30代後半だったはずだ。
だけどあの頃の親父は、7歳の僕にとって、とても大きく感じた。
何ものにも代えがたい信頼感に満ちていた。
でも・・・・。
きっとあの頃の親父も、いろんな気持ちを胸の中に秘めて
生きていたのだろう。
それを子どもに見せずに、踏ん張って生きていたのだろう。
喜びも悲しみも嬉しさも悔しさも、すべてを自分一人で背負って・・・。
今ごろになって、少しだけだけど、僕にもようやく分かってきた。
もうすぐ盆休み。
実家に帰ったら、また親父と一緒に酒を飲もうか。