りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

“なれない”と“なりたくない”の狭間で。

2014-02-27 | Weblog
先週末にNHK-BSで映画「レオン」を放送していた。

ちょうど20年前、1994年の作品だ。
ワタシは公開から2~3年後にレンタルビデオで観た。
最初は高をくくって観ていたのだが、ラストでは不覚にも号泣してしまった記憶がある。

ジャン・レノのファンだ。
彼の出演した映画で一番好きな映画も、やっぱりこの「レオン」になると思う。
それくらい、彼が演じた主人公のレオンが好きだった。

ニューヨークの片隅で独りぼっちで暮らす、イタリア移民の殺し屋。
クールで物静かだが、人間らしい優しい心を捨て切れない不器用な生き様。

こんな男になりたいなぁ・・・でも、なれないだろうなぁ。

初めてこの映画を観た時、20代後半だったワタシは素直にそう思った。
本当の意味でカッコいい男、カッコいい大人というモノが分からないまま毎日毎日右往左往
していたワタシにとって、レオンはそんな目標の安易な答えのように映ったのかもしれない。

あれから20年近くの時間が過ぎて、再び「レオン」を観た。

久しぶりに再会した殺し屋レオンは、やっぱりカッコイイ男にワタシの眼には映った。
しかし映画が進むに連れて、20年前には抱いていなかった思いがワタシの中にあることに気づいた。

やっぱり、カッコいいなぁ・・・でも、こんな男にはなりたくないなぁ。

当たり前だが、同じ映画なのだから、ストーリーも登場人物の設定も20年前の同じだ。
なのに、同じ人物を観てそう思っている自分がいた。

同じ否定形であっても、“なれない”と“なりたくない”とでは、天と地ほども違う。
最初は、“どうしてだろう?”と思ったのだけど、どうもワタシは世間の日陰で不器用に生きてゆくレオンに、
どこかしら違和感というか不快感というか、そういったものを感じたようだった。

おそらくそれは、20年前とは違う今のワタシ・・・40代も半ばになり、家庭を持って社会のド真ん中で
生きているワタシにとっては、最も避けたい状態であり、最も遠い存在だからかもしれない。

ひと言で言えば、ワタシが変わってしまった、ということなのだろう。
それを成長と呼ぶのか、それとも退行と呼ぶのかは、分からないけど。

映画は最後まで観た。
今回はラストで号泣はしなかった。

でも、エンディングロールに流れたスティングのバラードは、20年前と何も変わらず、やっぱり美しかった。

Sting 「Shape of my heart」
コメント (3)
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