りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

実体のない絆。

2014-09-10 | Weblog
友人が、亡くなった。

幼い二人の子どもと奥様を残して。
日曜日の夜、突然。

彼とは同じTwinという小さなクルマのオーナー同士だった。
Twinのオーナーが集うサイトで知り合い、
年に1度、愛知県で開催されていたTwinオーナーの集まりであるオフ会に毎年参加していた彼とワタシは、その会場で会えば必ず会話を交わす仲になった。
そこからの流れで、よく電話やメールで連絡を取り合っていた時期もあった。
お互いのクルマのこと以外にも、仕事や家庭のことのような身の上話に至ることもあった。

冒頭に、ワタシは彼のことを“友人”と書いた。
しかし、本当に友人だったのかどうか、実は自分でもよく分からない。
なぜなら、頻繁にやりとりをしていたのにも関わらず、ワタシ(おそらく彼もだが)は彼の住所や年齢だけでなく、本名さえも知らなかったのだ。
彼の死を知ったのも、知り合いからの電話でもメールでも、ましてや直接的な肉声でもなく、
某snsにアップされていた彼の奥様のつぶやきでだった。

そのつぶやきを読んだ時、奇妙な感覚になった。
現実味がないわけではない。でも、何かが違う。
“悲哀”とか“”驚愕“とか“動転”といった、知人の訃報に接した時に襲われる感覚が一切なく、
まるで、どこかで誰かに勝手にそれらを遮断されてしまったような、そんな感覚しかなかった。

彼との間には、繋がりがあった。
気障な言い方をすれば、絆があった。
でも、それに実体があったのかどうかと尋ねられたら、正直なところ首を傾げてしまう。

彼との繋がりは、ネットを介して始まって、そして、ネットを介して終わってしまった。
結局のところ、何度も会ったことがあると言えども、それが彼とワタシの繋がり方だったのかも知れない。

今日は葬儀だったらしい。
お通夜には、ワタシも仲よくさせてもらっているTwin仲間が参列したそうだ。
その事を知ったのも、某snsの、そのTwin仲間のつぶやきでだった。

みずさん、ありがとう。
さようなら。
ご冥福をお祈り申し上げます。
コメント (2)
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