りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

70年前の写真とともに。

2015-06-26 | Weblog
実家の古いアルバムの中にある、この写真。

右側の凛々しい顔つきの男性は、ワタシの祖父である。
そして、所在なさげな表情で祖父に抱かれている幼児は、ワタシの父。

祖父は、42歳。父は、4歳。
撮影場所は、家の玄関前だそうだ。
昭和20年。大阪市。

この写真を撮った数ヶ月後、大阪は大空襲を受け、この家も跡形もなく焼けてしまい、一家は命からがら祖父の故郷である尾道へ逃げ帰って来た。

避難する人々でごった返す大阪駅。
背負われた祖母の背中。
その背中越しに見えた焼夷弾の明かり・・・そんな光景の断片が、父の中に残る最も古い記憶なのだという。

そんな非日常的な記憶が人生最初の記憶だからか、父は74年の人生の大半を広島県で生きてきたのに、今でも大阪出身の意識が強い。

大阪市大正区鶴町三丁目。

今から、8年前。
おぼろげな記憶を頼りに父が書き起こしたメモ書きのような地図を片手に、ワタシはこの町へ訪れたことがあった。
初めて訪れた大正区鶴町は、同じ大阪の梅田やミナミと比べてお世辞にも華やかとは言えない、小さな町工場が建ち並ぶ、まるで時代に取り残されたような寂れた大阪湾岸の町だった。
父の地図を片手に通りを右往左往し、昔のことを知っていそうな年配の人に出会うと、勇気出して尋ねたりもしたのだが、結局ワタシには、かつて家のあった場所を特定することができなかった。

明日、行ってこようと思う。

今度は、父とともに。
母と息子も連れて。
唯一の手掛かりと言っていい、この70年前の写真も一緒に。

父と一緒に行けるのは、これが最初で最後の機会かも知れない。

祖父母が必死に生き、父が生まれた場所へ。
ワタシたちの家がはじまった場所へ。

明日、ワタシは父と一緒に行ってくる。
コメント (2)
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