りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

バスルームから愛をこめて〈2〉 〜ナイチンゲール〜

2018-11-24 | 短編小説


先日。 
息 子「ねぇ、お父さん」 
ワタシ「ん?何だ?」 
息 子「何でボクにはおチンチンがあって、お姉ちゃんにはおチンチンがないの?」 
 まただよ・・・またはじまった。
 ここで良いパパぶって「それはな、子どもを産むためなんだよ」とかなんとか言って、直球勝負の答えを返してはいけない。ゼッタイに。
そんなことをした日には、息子の好奇心に思いっきり火を点けてしまい、かつての“注射器事件”の二の舞になってしまう。
 そこでワタシの口から出た答え。 
「だからぁ〜、それはお前が男で、お姉ちゃんは女だからだよ」 
 ・・・我ながら情けないほど、見事に何の答えにもなっていない。
 今、最も好奇心旺盛な時期を迎えている四歳の息子が、こんな低能な答えで納得するわけがないじゃないか。 
息 子「ふ〜〜ん。そうか」 
 納得しやがった。 
 しかし、これはまだプロローグに過ぎなかった。この直後・・・ 
息 子「ねぇ、ねぇ、お父さん」 
ワタシ「あん?(もういい加減にしてくれよ)」 
ワタシは少し面倒くさそうに答えた。すると息子は、間髪入れずに僕に向かって発射した。 
息 子「男の子はおチンチンって言うけど、女の子はおチンチンないけど、何て言うの?」 
ワタシ「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
息子が発射した質問は、明らかに核弾頭だった。この例えはちょっと不謹慎だっただろうか。ならば、例えを変えよう。 息子が発射した質問は、明らかに関東直下型の大地震だった。いや、この例えも不謹慎か?・・・・いやいや、最も不謹慎なのは、息子よ、お前のその質問だっ!!
 何も言葉が、出て来ない。 
 風呂の中で、石になる。 
 風呂に入っているのになぜか汗が大量に流れはじめているのが、分かる。 
 そりゃあ、ワタシだってもうすぐ四十路だもの。当然、〈その言葉〉は知っている。 
 友達と居酒屋に行ってビール二〜三杯でも飲んでほどよく酔えば、メロディー付きで連呼している。(それはそれで考えモノだが) 
 だけど当然の当然の当然だが、その言葉を子どもに教えるわけにはいかない。 そんなことをした日にゃ、息子が風呂から上がって妻に報告したとたん、 ワタシは、全裸のまま勝手口から放り出されるのは必至だ。 
ワタシ「う〜〜〜ん、何て言うのかなぁ・・・」 
 ワタシはとぼけたフリをした。 
 この時の僕の芝居を見れば、きっと今は亡き浅利慶太も“ぜひ、劇団四季に入ってくれ”とワタシに懇願したことだろう。 
息 子「ねぇ、何て言うの?」 
 こういう場面で“知らない”とは言えないし、言ってはいけない。ワタシはそう思っている。 
 子どもにとって、親に質問をして“知らない”と言われた時ほど失望することはないからだ。 
 ワタシが、そうだった。 
 子どもの頃、ワタシも素朴な疑問をよく親にぶつけた。しかしその度に、親は“よく分からない”と言って、ワタシの質問をよく誤摩化した。 
 息子は、明らかにそんなワタシのDNAを受け継いでいる。だから、なおさら“知らない”とは口にできない。でも、悲しいかな、何も言葉が出て来ない。 
 息子は、ワタシは中々答えないことに痺れを切らしたのか、湯船に立ってシャボン玉に興じていた娘の方を向いて「ここ、ここ」と指差した。 
 こら、こら、お姉ちゃんの股間を指差すんじゃない!

「・・・ナイチンゲール・・・」 

 無意識に自分の口から出たその言葉に、ワタシは自分で自分の耳を疑った。 
「ナイチンゲールぅぅ〜〜???」 
 息子は声をひっくり返して僕が言った言葉を繰り返した。息子の“ナイチンゲールぅぅ〜〜???”が、気持ちがいいほど浴室に響き渡る。 
 その言葉に、今度は娘がシャボン玉を中断して反応した。
「ナイチンゲール、知ってるよ。看護婦さんよね?」 
 さすがワタシの愛娘だ。娘は格好の助け舟を出してくれた。その言動にワタシは淡い期待を抱いた。ここで話題の方向が変わるかもしれない。 
ワタシ「お、おぉ、そうそう、よく知ってるな。どうして知ってるんだ?」 
愛 娘「学校の図書室に本があった」 
ワタシ「へぇ〜、お前、読んだの?」 
愛 娘「うん、少しだけ。でも、おチンチンの話じゃないよ」 
 娘の助け舟には穴が開いていたらしく、あっという間に浴槽に沈没した。 
 しかし、それでワタシの疑問も氷解した。
 ワタシも小学生の時、男女の身体の違いを表現する時に、ただただ“ナイチンゲール”という語感が面白いというだけで、そう言っていたのだ。そのナイチンゲールが白衣の天使だったことをワタシが知ったのも、娘と同じように学校の図書室の本だった。その時の記憶が、とっさに思い浮かんだのだ。たぶん。 
「お父さんが子どもの頃、そう言ってたような気がする」 
 ワタシはこの期におよんで、まだ少しとぼけた。この時のワタシの芝居を見れば、佐藤B作ならば東京ボードビルショーに入れてくれたかもしれない。 
「でも、でも、でも、ナイチンゲールって看護婦さんなのに、なんでおチンチンの女なの?」 
 息子は少し興奮して支離滅裂な尋ね方をしたが、息子が言いたいことはよく分かった。 
「うん・・・まぁ、でも、それでいいんだよ」
ワタシはそう言いながら、心の中で、クリミア戦争で負傷した兵士を必死に看護した看護師の鑑であるナイチンゲールに、平身低頭で謝った。まさか、ナイチンゲールもこんなカタチで約三十年ぶりに僕と再会するとは、予想だにしていなかっただろう。 
 他にも、子どもに説明する適切な表現はあったと思う。実際に、それが教育の現場でも課題になっていることはおぼろげに知っている。 
 しかし、僕にはもう限界だった。早く湯船から上がりたかった。のぼせる寸前、すでにゆでダコ状態だったのだ。
 いつもと同じように、息子、娘、僕の順番で風呂から上がった。きっと息子は風呂から上がると、いつものように素っ裸のまま、浴室での出来事を妻に報告しているはずだ。 
 僕も風呂から上がった。脱衣場でバスタオルで身体を拭いていると、リビングから息子の甲“高い声が聞こえて来た。
「お母さん、女の子はねぇ〜、ナイチンチンゲールなんだよ!」 

 ・・・・・・勝手にアレンジするんじゃねぇよ。

(終)〈2007年作〉

●バスルームから愛をこめて〈3〉 〜佐々木ヨシエさん〜 → https://blog.goo.ne.jp/riki1969/e/63b4f1478cb9ef07dd16d09a5d056963

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