3.辰野支線駅取材計画-遅延による断念
小淵沢から12:18頃発車の長野行きに乗り込む。
辰野線取材の前に茅野駅で途中下車する。
茅野は既に駅取材が済んでいるが、
東口が整備されたため追加取材と、
ここにも蒸気機関車が静態保存されたのでそれも取材したい。
茅野駅東口に静態保存されたのはC12型蒸気機関車である。
この蒸気機関車には以下のような説明書きがあった。
蒸気機関車C1267
このC12形式タンク機関車は、昭和7年に誕生し、
国内の産業・経済・文化の発展に大きく貢献しました。
このC1267は、その67号機です。
太平洋戦争中、現在の市内北山地籍にあった諏訪鉄山から
軍需用に鉄鉱石が採掘されました。
その輸送のため茅野駅まで専用鉄道が敷かれ、
田園地帯を蒸気機関車が走りました。
そこで活躍したのが、この機関車と同じC12型の機関車でした。
市では、この機関車の廃止に際し、昭和48年、
かつての歴史を伝える社会的教材として
旧国鉄(現JR)から貸与を受けました。
そして現在、機関車にふさわしい駅前の交通広場に配置し、
この場所で市民の皆さんや遠来の方々に
一時を憩っていただけるよう展示しています。
(付記)
この機関車は、昭和8年、茨城県日立製作所で製造され、
全国各地に配属され役目を果たしましたが、
電気機関車の普及に伴い、昭和48年に廃車となりました。
この間40年、約158万km(地球を約39.5周)を走行しました。
全長11.35m、重量49t、動輪直径1.4m、高さ3.9m、
馬力520馬力、走行距離1,588,699.8km
予定では茅野で1時間30分の取材時間を取っていたが、
未だに中央本線のダイヤが乱れていて、帰って早めの列車に乗ることが出来た。
茅野を1:20p.m.頃発車する長野行きに乗って岡谷へ。
ここから辰野に行く予定だったが、その前に昼食を喰おうと思って岡谷駅周辺を散策する。
しかし特に入りたい店も見つからず、
しかも辰野方面の列車も時間が合わず、
仕方がないので1:57p.m.頃の松本行きで塩尻まで行く。
ここで待合室に併設されていた「桔梗」で天ぷらうどん360円を喰い、
123系に乗り込んで信濃川島まで行く。
辰野支線は塩尻と辰野の間に2つの無人駅があり、信濃川島はそのひとつ。
本来ならもうひとつの小野も取材するはずだったが、
中央本線の遅れで接続を取って飯田線も遅れ、
そのために辰野支線にも影響が出てしまっていた。
予定では2つの駅を取材したあと、塩尻で帰りの特急には乗り換え時間が3分しかない。
もし3分以上の遅れが出ると帰りの特急に間に合わなくなる。
そこで小野駅の取材は断念し、次回への宿題とした。
しかし小野駅を取材しないと時間が余ってしまい、塩尻で時間を潰すのに苦労した。
帰りは“千葉あずさ”である「あずさ30号」に乗り込む。
中央本線は帰りの時間になってもまだ乱れが続いていて、
千葉駅に到着したのは7分遅れだった。
小淵沢から12:18頃発車の長野行きに乗り込む。
辰野線取材の前に茅野駅で途中下車する。
茅野は既に駅取材が済んでいるが、
東口が整備されたため追加取材と、
ここにも蒸気機関車が静態保存されたのでそれも取材したい。
茅野駅東口に静態保存されたのはC12型蒸気機関車である。
この蒸気機関車には以下のような説明書きがあった。
蒸気機関車C1267
このC12形式タンク機関車は、昭和7年に誕生し、
国内の産業・経済・文化の発展に大きく貢献しました。
このC1267は、その67号機です。
太平洋戦争中、現在の市内北山地籍にあった諏訪鉄山から
軍需用に鉄鉱石が採掘されました。
その輸送のため茅野駅まで専用鉄道が敷かれ、
田園地帯を蒸気機関車が走りました。
そこで活躍したのが、この機関車と同じC12型の機関車でした。
市では、この機関車の廃止に際し、昭和48年、
かつての歴史を伝える社会的教材として
旧国鉄(現JR)から貸与を受けました。
そして現在、機関車にふさわしい駅前の交通広場に配置し、
この場所で市民の皆さんや遠来の方々に
一時を憩っていただけるよう展示しています。
(付記)
この機関車は、昭和8年、茨城県日立製作所で製造され、
全国各地に配属され役目を果たしましたが、
電気機関車の普及に伴い、昭和48年に廃車となりました。
この間40年、約158万km(地球を約39.5周)を走行しました。
全長11.35m、重量49t、動輪直径1.4m、高さ3.9m、
馬力520馬力、走行距離1,588,699.8km
予定では茅野で1時間30分の取材時間を取っていたが、
未だに中央本線のダイヤが乱れていて、帰って早めの列車に乗ることが出来た。
茅野を1:20p.m.頃発車する長野行きに乗って岡谷へ。
ここから辰野に行く予定だったが、その前に昼食を喰おうと思って岡谷駅周辺を散策する。
しかし特に入りたい店も見つからず、
しかも辰野方面の列車も時間が合わず、
仕方がないので1:57p.m.頃の松本行きで塩尻まで行く。
ここで待合室に併設されていた「桔梗」で天ぷらうどん360円を喰い、
123系に乗り込んで信濃川島まで行く。
辰野支線は塩尻と辰野の間に2つの無人駅があり、信濃川島はそのひとつ。
本来ならもうひとつの小野も取材するはずだったが、
中央本線の遅れで接続を取って飯田線も遅れ、
そのために辰野支線にも影響が出てしまっていた。
予定では2つの駅を取材したあと、塩尻で帰りの特急には乗り換え時間が3分しかない。
もし3分以上の遅れが出ると帰りの特急に間に合わなくなる。
そこで小野駅の取材は断念し、次回への宿題とした。
しかし小野駅を取材しないと時間が余ってしまい、塩尻で時間を潰すのに苦労した。
帰りは“千葉あずさ”である「あずさ30号」に乗り込む。
中央本線は帰りの時間になってもまだ乱れが続いていて、
千葉駅に到着したのは7分遅れだった。