2.高原列車は、ラララ、行くよ!
8:00a.m.頃、高尾駅を発車した115系は1時間40分遅れだった。
下りは漸く再開したものの、上り列車はまだ不通のままであった。
倒木があったのが上りの線路のようで、
丁度、上野原と藤野の間で倒木の伐採作業が行われていた。
この列車はもともと06:14に高尾を発車し、09:50に松本に到着する列車だ。
車内は登山客が多く、大月で大半が降りていった。
富士急に乗り換えるのだろう。
思ったより順調に走っていったが、塩山で特急の追い抜き待ちで暫く待たされる。
しかも先行していた特急が山梨市駅でパンタグラフの点検のため暫く停車し、
そのため後続の「あずさ3号」も急遽、塩山で追い抜きになる。
これは千葉駅を発車して南小谷まで行く“千葉あずさ”だ。
塩山には20分停車したが、それでも塩山を1時間35分遅れで出発できた。
順調に走った分の貯金を使い果たしたが、
何とか小淵沢には、10:53の10分前には到着した。
ここから臨時列車の「八ヶ岳高原列車3号」で清里に行く。
臨時列車だったので当然、キハE200系のハイブリッド気動車かと思ったが、
実際はキハ110系が充当されていた。
清里はJRで2番目に高い場所にある駅で、
それと同時に避暑地としても有名な場所だが、
今回この場所に来たかったのは駅前に静態保存されているC57型が目当てだったのだ。
このC57型には以下のような解説が書かれていた。
C56149のはたらき
製造年月日 昭和13年6月28日 三菱重工神戸造船所
使用開始 S13.7.6~S14.12.19
新潟鉄道局米沢機関区所属
この間の走行キロ数(米坂線) 61,728.8km
転属 S14.12.20~S16.12.8
仙台釜石機関区所属
この間の走行キロ数(釜石線) 106,739.6km
転属 S16.12.9~S47.12.5
長野鉄道管理局中込機関区所属
この間の走行キロ数(小海線) 1,478,507.7km
走行キロ数合計 1,647,006.1km
走行年数 通算 34年5ヶ月
使用休止年月 昭和47年10月31日
蒸気機関車展示の趣旨
C56149蒸気機関車は戦前戦後を通し輸送の主力として
八ヶ岳山麓を力強く走り続け地域の発展に大きく貢献し、
また高原の「ポニー号」と称され多くの方々から親しまれてきました。
まだ充分活躍出来る能力はありましたが、
時代の進歩の激しさには勝てず退役となりました。
引退までの34年5ヶ月、実に31年間も小海線で走り続け
優美な清里高原を全国に伝える原動力となりました。
退役後、長年親しまれ活躍してきたC56の
学術的、歴史的功績をたたえると共に郷土を語る貴重な資源として、
また未来を担う子供達の豊かな心を育てる教育的、社会的教材として
後世に伝えるべく、「たかね荘」の敷地内で静態保存されていたものを
清里駅周辺地区の整備の一環として地元からの要望に基づき
観光振興に役立てばとの思いから、清里駅前に設置しました。
予定では12:02の列車で小淵沢まで戻るつもりだったが、
下りで乗った“八ヶ岳高原列車”が野辺山で折り返してきて、
11:45に清里に到着したのでこれに乗る。
ここから茅野経由で辰野支線の取材に移ることにする。
8:00a.m.頃、高尾駅を発車した115系は1時間40分遅れだった。
下りは漸く再開したものの、上り列車はまだ不通のままであった。
倒木があったのが上りの線路のようで、
丁度、上野原と藤野の間で倒木の伐採作業が行われていた。
この列車はもともと06:14に高尾を発車し、09:50に松本に到着する列車だ。
車内は登山客が多く、大月で大半が降りていった。
富士急に乗り換えるのだろう。
思ったより順調に走っていったが、塩山で特急の追い抜き待ちで暫く待たされる。
しかも先行していた特急が山梨市駅でパンタグラフの点検のため暫く停車し、
そのため後続の「あずさ3号」も急遽、塩山で追い抜きになる。
これは千葉駅を発車して南小谷まで行く“千葉あずさ”だ。
塩山には20分停車したが、それでも塩山を1時間35分遅れで出発できた。
順調に走った分の貯金を使い果たしたが、
何とか小淵沢には、10:53の10分前には到着した。
ここから臨時列車の「八ヶ岳高原列車3号」で清里に行く。
臨時列車だったので当然、キハE200系のハイブリッド気動車かと思ったが、
実際はキハ110系が充当されていた。
清里はJRで2番目に高い場所にある駅で、
それと同時に避暑地としても有名な場所だが、
今回この場所に来たかったのは駅前に静態保存されているC57型が目当てだったのだ。
このC57型には以下のような解説が書かれていた。
C56149のはたらき
製造年月日 昭和13年6月28日 三菱重工神戸造船所
使用開始 S13.7.6~S14.12.19
新潟鉄道局米沢機関区所属
この間の走行キロ数(米坂線) 61,728.8km
転属 S14.12.20~S16.12.8
仙台釜石機関区所属
この間の走行キロ数(釜石線) 106,739.6km
転属 S16.12.9~S47.12.5
長野鉄道管理局中込機関区所属
この間の走行キロ数(小海線) 1,478,507.7km
走行キロ数合計 1,647,006.1km
走行年数 通算 34年5ヶ月
使用休止年月 昭和47年10月31日
蒸気機関車展示の趣旨
C56149蒸気機関車は戦前戦後を通し輸送の主力として
八ヶ岳山麓を力強く走り続け地域の発展に大きく貢献し、
また高原の「ポニー号」と称され多くの方々から親しまれてきました。
まだ充分活躍出来る能力はありましたが、
時代の進歩の激しさには勝てず退役となりました。
引退までの34年5ヶ月、実に31年間も小海線で走り続け
優美な清里高原を全国に伝える原動力となりました。
退役後、長年親しまれ活躍してきたC56の
学術的、歴史的功績をたたえると共に郷土を語る貴重な資源として、
また未来を担う子供達の豊かな心を育てる教育的、社会的教材として
後世に伝えるべく、「たかね荘」の敷地内で静態保存されていたものを
清里駅周辺地区の整備の一環として地元からの要望に基づき
観光振興に役立てばとの思いから、清里駅前に設置しました。
予定では12:02の列車で小淵沢まで戻るつもりだったが、
下りで乗った“八ヶ岳高原列車”が野辺山で折り返してきて、
11:45に清里に到着したのでこれに乗る。
ここから茅野経由で辰野支線の取材に移ることにする。