11.加茂の予定変更-伊賀鉄道の乗り潰し
加茂で昼食を取り、乗り換え時間は1時間32分で、
12:42の関西本線で伊賀上野に行くことになっていたが、
急いで食事を終え、何とか1本前の11:42に乗り込んだ。
1時間前のダイヤに乗り込んだことで、
このあとに1時間の余力が出来ることになる。
当初の予定では、12:42加茂発の関西本線で伊賀上野に行く。
伊賀上野に到着するのは13:17で先に伊賀上野の駅取材を、
1時間4分の乗り換え時間で完遂する。
ここから伊賀鉄道の取材に入る。
14:21伊賀上野発で上野市に行き、36分の乗り換え時間で駅取材する。
15:04上野市始発で終点の伊賀神戸まで行き、44分で駅取材する。
16:14伊賀神戸折り返しで上野市まで戻り、接続発車で伊賀上野まで帰る。
3分の乗り換え時間で16:54発の関西本線で亀山まで出る。
亀山の到着時間は17:36で、20分の乗り換え時間で四日市まで行く。
しかし1時間前のダイヤで伊賀上野に到着すると、
接続する伊賀鉄道の列車が待っていてくれた。
逆にこのまま駅員を無視して外に出るのも大人げないので、
そのまま接続を待っていてくれた電車に乗り込む。
待っていたのはJR西日本の駅員で、
ここまでの切符を回収するために乗り換えホームで待っていたのだ。
今日の牽引のある青春18きっぷを見せて乗り込む。
乗り込んだ列車は上野市止まりで、
構内踏切の前で切符を回収していた駅員に訊いて、
券売機で「伊賀鉄道一日フリー乗車券」740円を購入する。
切符を購入して直ぐに再入場、この時に検印を押して貰う。
駅取材は後回しにしてそのままホームに停車していた車両に乗り込む。
乗り込んだ電車は“伊賀焼風鈴列車”だった。
伊賀鉄道は東急1000系を譲り受けた200系が運行されている。
200系は2両編成×5本=10両が在籍している。
伊賀忍者をイメージした松本零士氏のキャラがラッピングされている。
車内は一部クロスシートが採用されている。
種車はロングシートの通勤形タイプだが、
観光需要も考慮してアコモ改造がなされている。
上野市14:02発でまずは終点の伊賀神戸まで行く。
近畿日本鉄道伊賀神戸駅は近鉄大阪線の駅である。
かつて近鉄線だった伊賀鉄道伊賀線も接続しており、
伊賀線が単式1面1線、近鉄大阪線は相対式2面2線の地上ホームを有する。
伊賀鉄道伊賀線は終着駅となっており、
かつては島式1面2線構造だったが、
2007年に駅舎改良工事が施され、6番線が廃止された。
近鉄大阪線は1番線は下り賢島方面、2番線は上り大阪難波方面が使用する。
伊賀鉄道伊賀線は5番線に付番されている。
伊賀線は近鉄となる前に伊賀鉄道の社名だった会社が敷設、
1922年7月18日に伊賀鉄道によって上野町(現・上野市)から、
名張(現・廃止)まで敷設された時に「庄田」の駅名で改行した。
当時は現在地から約600m名張方面にあったという。
伊賀鉄道は1926年12月9日に社名変更し、伊賀電気鉄道となる。
伊賀電気鉄道は1929年3月31日に大阪電気軌道に合併、
現在の近鉄大阪線となる参宮急行鉄道が1930年10月10日に、
榛原から延伸して終着駅として伊賀神戸が開業、
伊賀線の庄田が廃止され、伊賀神戸に駅が設置される。
同年11月19日に阿保(現・青山町)まで延伸され途中駅となる。
1941年3月15日に大阪電気軌道と参宮急行鉄道が合併、
戦時中の1944年6月1日に南海鉄道との合併で近畿日本鉄道となった。
不要不急路線として1945年6月1日に伊賀線伊賀神戸から西名張(元・名張)が休止、
戦後に復活したが1964年10月1日には正式に廃止された。