林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

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青春の旅立ち-大阪から名古屋へ12.

2021-01-26 | 鉄道・旅行

 12.伊賀鉄道の予定変更-上野市と茅町

伊賀神戸で駅取材して折り返し列車に乗り込み、
そのまま上野市に戻ってきた。
上野市では伊賀上野への列車が接続していたが、
これには乗らずに上野市で駅取材をする。

上野市駅は島式1面2線の地上ホームを有する伊賀線の駅である。
1番線は上り伊賀上野方面、2番線は下り伊賀神戸方面が使用する。
伊賀鉄道の本社と車両基地が併設されており、
始点及び終点は折り返しだけで留置線や社員の待機場所がないため、
上野市で運転系統が分かれている。
伊賀線は近鉄となる前に伊賀鉄道の社名だった会社が敷設、
1916年8月8日に上野駅連絡所(現・伊賀上野)から部分開業、
この時終着駅として上野町の駅名で開業した。
開業時は「伊賀軌道」の路線名だったが、
翌年12月20日に社名を「伊賀鉄道」に変更した。
1922年7月18日には上野町(現・上野市)から、
名張(現・廃止)まで延伸された。
伊賀鉄道は1926年12月9日に社名変更し、伊賀電気鉄道となる。
伊賀電気鉄道は1929年3月31日に大阪電気軌道に合併、
現在の近鉄大阪線となる参宮急行鉄道が1930年10月10日に、
榛原から延伸して終着駅として伊賀神戸が開業、
伊賀線の庄田が廃止され、伊賀神戸に駅が設置される。
同年11月19日に阿保(現・青山町)まで延伸され途中駅となる。
1941年3月15日に大阪電気軌道と参宮急行鉄道が合併、
戦時中の1944年6月1日に南海鉄道との合併で近畿日本鉄道となった。
不要不急路線として1945年6月1日に伊賀線伊賀神戸から西名張(元・名張)が休止、
戦後に復活したが1964年10月1日には正式に廃止された。
2007年3月26日に伊賀鉄道が設立、同年10月1日に伊賀線を引き継いだ。
伊賀鉄道は第三セクター鉄道だが、近畿日本鉄道の出資率が98%、
伊賀市は2%しか出資していない。
路線や車両は近鉄が所有し、伊賀鉄道は第二種鉄道事業者として、
近鉄から車両や鉄道施設を借り受けて運行していた。
しかし2017年4月に公有民営方式に移行、
鉄道施設が近鉄から伊賀市に無償譲渡された。
それによって伊賀市の出資比率は25%になった。

伊賀市の中心部は以前“上野市”だったが、
平成の大合併で伊賀市となった。
しかし駅名はそのまま「上野市」として残されている。
伊賀市は伊賀流忍者を観光資源としてアピールすべく、
上野市の副駅名に「忍者駅」を採用、2019年2月に愛称名を併記した。
しかし実際には「忍者市駅」の方が大きく、「上野市駅」は目立たない。

当然、駅名標に通常版のほかに、観光用の忍者押しバージョンもある。

このあと本当は伊賀上野に戻ることになっていたが、
1時間早めに加茂を出発したので取材時間に余力があり、
そこで再び下り方面の列車に乗り、茅町まで行くことにした。

この駅は往復する間で駅前が比較的開けていて、
折り返し時間で駅取材して時間があったら辺りを散策しようと思った。

茅町駅は島式1面2線の地上ホームを有する伊賀線の駅である。
1番線は下り伊賀神戸方面、2番線は上り伊賀上野方面が使用する。
駅舎とホームとは構内踏切で繋がっている。
伊賀線は1916年8月8日に上野駅連絡所(現・伊賀上野)から、
上野町(現・上野市)までが部分開業した。
1922年7月18日には上野町(現・上野市)から、
名張(現・廃止)まで延伸、この時茅町も同時に開業した。

この駅を十分に取材し、14:41で上野市まで戻り、
隣に停車していた伊賀上野行きに乗り換える。
乗客だけでなく、ここまで運転してきた運転手もそのまま隣の電車に乗り込み、
伊賀上野まで運転していったのだった。

コメント
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