林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗13.

2025-01-23 | 鉄道・旅行

 13.東急池上線雪が谷大塚と御嶽山の駅取材

石川台で駅取材して12:29で隣の雪が谷大塚に行く。

東急雪が谷大塚駅は島式1面2線の地上ホームを有する池上線の駅である。
1番線は下り蒲田方面、2番線は上り五反田方面が使用する。
雪が谷大塚が終着、始発の列車のために蒲田側の駅前踏切の先に渡り線がある。
画像は西口で、橋上駅舎化されている。

蒲田方に雪が谷検車区が隣接していて、
池上線、東急多摩川線共有の車両基地として機能している。

雪が谷大塚駅は1923年5月4日に池上から延伸した時に、終着駅として開業した。
開業時の駅名は「雪ヶ谷」で、現在地より五反田方面に3つ先の踏切付近に設置されていた。
1927年8月19日に現在の車両基地付近に調布大塚駅が開業した。
翌年の1928年10月5日に新奥沢線が開業し、
それに合わせて約150m蒲田よりに移設された。
新奥沢線は雪ヶ谷(現・雪が谷大塚)から新奥沢までの1.44kmの単線で、
途中駅の諏訪分を含めて3駅の単線路線だった。
将来的には国鉄(現・JR東日本)中央本線の国分寺に接続させる予定だった。
しかし競合する目黒蒲田電鉄が現在の東急大井町線を計画していたこともあり、
同社の社長の五島慶太氏の妨害などもあり、この先の延伸は実現しなかった。
池上電気鉄道が1934年10月1日に目黒蒲田電鉄に合併すると、
新奥沢線は廃止申請され、1935年11月1日に廃止された。
1933年6月1日に雪ヶ谷と調布大塚が統合され、現在地に移転された。
移転時は「雪ヶ谷」のままだったが、1943年12月に「雪ヶ谷大塚」に改称、
戦後の1966年1月20日に「雪が谷大塚」に改称された。
現在の駅舎である雪が谷大塚駅ビルが完成したのは1989年9月26日だった。

雪が谷大塚で駅取材を完了し、12:52で隣の御嶽山に行く。

御嶽山駅は相対式2面2線の地上ホームを有する池上線の駅である。
1番線は下り蒲田方面、2番線は上り五反田方面が使用する。
上下線のホームは独立しており、画像は五反田方面口である。
御嶽山のホーム直下には、東海道新幹線と品鶴線が交差している。

1923年5月4日に池上から雪ヶ谷(現・雪が谷大塚)まで延伸時に同時に開業した。
開業時の駅名は「御嶽山前」だったが、
1929年6月1日に「御嶽山」に改称された。
駅名は近接する御嶽神社に由来する。
御嶽神社は独立峰としては日本で2番目に高い御嶽山を祀っている。
御嶽山は長野県木曽郡と岐阜県下呂市、高山市に跨がり、山岳信仰の山であった。
神社は1535年頃の創建と云われているが、当時は小さな神社に過ぎなかった。
しかし相模国津久井村出身の治兵衛が修験者・一山行者として木曽御嶽山に入り、
この神社を中興、1831年に大きな社殿を建立した。


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