今日で東日本大震災から2年目を迎える。
被災地では未だに傷跡が癒えぬ中、復興へ向けた取り組みがテレビ番組などでも紹介されている。
テレビの中では「頑張ろう」とか「継続的な支援を…」などとの呼びかけもあるが、
正直云ってどの番組もどこか“他人事”のような感じが拭えない。
自分自身を含め、あの地震の時は大きなショックを受けたし、
小さいながらも地震の影響を受けた一人だったが、
時間が過ぎ日々の生活に追われる中で東日本大震災のことはどことなく“過去のこと”となりつつある。
勿論、被災地では未だに仮設や避難所で暮らす人々がいることも事実だし、
福島第一原発の廃炉問題も前途多難で、その負担も“税金”という形で降りかかってくるだろう。
それでも何処か地震のことを“非日常”として忘れ去りたい気持ちがあって、
現状から目を背け、現実逃避に走りたい衝動は被災地以外の日本人の誰もが心の中に持っているのではないだろうか。
決して口には出さないけれど、もう東日本大震災のことには関わりたくない、
被災地のことは行政や現地の人たちで何とかすればいい、
そういった思いが何処か心の奥底で芽生え始めてはいないだろうか。
日本は“地震列島”などと呼ばれ、何処で大規模な地震が起こってもおかしくない。
避難所で暮らす人たちをテレビで観ている自分たちが、
いつかは“あちら側”の人間になるかもしれないという恐怖を抱えつつ、
それから目を背けているのではないだろうか。
経済発展の足枷になっている東日本大震災の復興を何処か疎ましく思いながらも、
決してそれを口には出来ないという思いが、2年目の日本の現実のように思えてならない。
「めげた。くじけた。でも立ち上がろう」被災各地で追悼(朝日新聞) - goo ニュース
被災地では未だに傷跡が癒えぬ中、復興へ向けた取り組みがテレビ番組などでも紹介されている。
テレビの中では「頑張ろう」とか「継続的な支援を…」などとの呼びかけもあるが、
正直云ってどの番組もどこか“他人事”のような感じが拭えない。
自分自身を含め、あの地震の時は大きなショックを受けたし、
小さいながらも地震の影響を受けた一人だったが、
時間が過ぎ日々の生活に追われる中で東日本大震災のことはどことなく“過去のこと”となりつつある。
勿論、被災地では未だに仮設や避難所で暮らす人々がいることも事実だし、
福島第一原発の廃炉問題も前途多難で、その負担も“税金”という形で降りかかってくるだろう。
それでも何処か地震のことを“非日常”として忘れ去りたい気持ちがあって、
現状から目を背け、現実逃避に走りたい衝動は被災地以外の日本人の誰もが心の中に持っているのではないだろうか。
決して口には出さないけれど、もう東日本大震災のことには関わりたくない、
被災地のことは行政や現地の人たちで何とかすればいい、
そういった思いが何処か心の奥底で芽生え始めてはいないだろうか。
日本は“地震列島”などと呼ばれ、何処で大規模な地震が起こってもおかしくない。
避難所で暮らす人たちをテレビで観ている自分たちが、
いつかは“あちら側”の人間になるかもしれないという恐怖を抱えつつ、
それから目を背けているのではないだろうか。
経済発展の足枷になっている東日本大震災の復興を何処か疎ましく思いながらも、
決してそれを口には出来ないという思いが、2年目の日本の現実のように思えてならない。
「めげた。くじけた。でも立ち上がろう」被災各地で追悼(朝日新聞) - goo ニュース