2.相模鉄道の設立と歴史-JR相模線との関係
相模鉄道は神奈川県に路線を所有する大手私鉄である。
横浜から海老名までの24.6kmの本線、
本線二俣川から分岐して湘南台までを結ぶ11.3kmのいずみ野線からなる。
設立は1917年12月18日で、直接敷設したのは現在のJR相模線である。
1921年9月に茅ヶ崎から寒川までの区間が開業、
その後も延伸工事が進められ、1931年4月には橋本まで延伸した。
一方、現在の相鉄本線に当たる区間を敷設したのは神中鉄道で、
神中軌道という社名で設立し、1919年6月に神中鉄道に改名された。
1926年5月12日に厚木から二俣川までの区間が開通した。
同年12月1日には星川(現・上星川)まで延伸、
1927年には北程ヶ谷(現・星川)まで延伸、
1929年には西横浜駅まで延伸を果たした。
1931年10月25日に西横浜から平沼橋まで、
省線(現・横須賀線)側線を借り入れて営業、
1933年12月27日に横浜まで延伸、全通した。
しかし業績不振のため1939年9月に東急横浜電鉄の傘下に入り、
同社社長の五島慶太氏が社長に就任、再建を図ることとなった。
1941年1月20日に相模国分(現・相模国文信号所)から海老名までの新線工事に着手、
同年11月25日に完成、小田急小田原線に乗り入れ相模厚木(現・本厚木)へ乗り入れも開始した。
1943年4月に子会社の合理化のために神中鉄道を相模鉄道に合併させたが、
1944年6月に戦時体制下における輸送力安定化のために、
東海道本線と中央本線のバイパス線である相模線が国有化されてしまい、
相模鉄道には神中鉄道が敷設した区間のみが残ることとなった。
1942年5月1日、東京横浜電鉄は陸上交通事業調整法により<
小田急電鉄、京浜電気鉄道を合併、社名を東京急行電鉄に改称、
1944年5月31日には京王電気軌道も合併している。
しかし戦後、1947年に相模鉄道は東急系列から独立、
1948年6月に小田急電鉄、京浜急行電鉄、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が分離された。
いずみ野線が建設されたのは戦後になってからで、
1976年4月に二俣川-いずみ野間が開通し、
1990年4月にいずみ中央まで延伸、
この開通により日本民営鉄道協会における大手としての要件を満たし、
同年5月31日に大手民鉄としての認定を受ける。
1999年3月に小田急江ノ島線湘南台まで延伸していずみ野線は全通した。
※「相鉄・JR直通線の完乗1.」を再録
※初出:2020-06-01