林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

青春の旅立ち-大阪から名古屋へ23.

2021-02-13 | 鉄道・旅行

 23.N700Sとの遭遇-旅の終わり

名古屋まで戻り、まだ時間があったので、
予定では夕食は駅弁を購入することにしていたが、
名古屋駅の地下街に行き店を探して、
「あんかけスパ・マメゾン・エスカ店」に行き、
名古屋めしとして最近テレビなどでも話題になっている、
あんかけスパの中のミラカンM800円を喰う。
このあと売店でお土産などを買い、新幹線の改札に直接入る。

今回は駅弁は買わないのでそのまま新幹線ホームに上がる。
売店でビールとつまみを買おうと思ったが、
入線してくる新幹線があったので、
一眼レフの望遠で確認したらN700Aとは少し顔が違って見えた。
たぶん、N700Sだと思い、撮影を続ける。

やはりN700Sで、乗る予定の「のぞみ40号」の2分前、
18:11着18:12発の「のぞみ422号」だ。
到着してから側面のロゴも撮影する。

しかしこれを撮影していたため、
乗る予定の「のぞみ40号」が到着まで残1分で、
売店でビールを買う暇がなくなってしまった。
そこで乗り込んでから車内販売で、ビールとつまみを買う。
19:54に東京に到着し、横須賀線・総武快速線地下ホームに行き、
20:05の君津行きで津田沼まで戻り、在来線で帰宅する。

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青春の旅立ち-大阪から名古屋へ22.

2021-02-12 | 鉄道・旅行

 22.武豊線完乗と予定変更の笠寺

武豊を15:07の始発大府行きで終点まで行く。
半田からは名鉄で移動ししたため、
ここから半田まで入ったところで武豊線の乗り潰しが完了する。
大府では駅取材済みだったが、
側線に貨物列車の新しいDLを見つけこれを取材、
このあと名古屋行きの快速に乗り込んだ。
しかし早めに予定をこなしていて、
帰りの新幹線にはまだ時間があったので、
ここで名古屋から大府に来る途中に、
車窓からELを見掛けた笠寺に行くことにした。
快速に乗ったため、いったん金山まで行き、
下りの普通列車に乗り直して笠寺に行く。
到着して駅取材をしようと思ったが、
接近してくる貨物列車を見つけてこれを先に取材することにした。
島式ホームの5番線を通過したので、
これを金網越しに後からELを取材した。

牽引していたのはEF64形1024号機だった。
駅取材してから名古屋に戻ることにした。

JR笠寺駅は単式2面と島式1面2線の、
計3面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
島式ホームを相対式ホームが挟む形で敷設され、
単式ホームが1番線と4番線、島式ホームは2番線、3番線に付番、
1番線が上り主本線、2番線が上り待避線、
3番線が下り待避線、4番線が下り主本線となっている。
4番線の西側には貨物用の発着線が何本かあり、
そのため画像は西口からは跨線橋を渡って、
日本ガイシスポーツプラザ(名古屋市総合体育館)などに至る。
戦時中の1942年4月1日にこの地に笠寺仮信号場が設置され、
翌年、1943年6月1日に駅に昇格された。
名古屋南部の軍需工場への輸送力強化が目的とされている。
橋上駅舎化されたのは、1988年4月8日である。

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2021-02-11 | 更新情報

「REI RINGONO status」を第115回更新しました。

「飲食店ブログ記事」の「千葉県」に稲毛「北海道らーめん ひむろ」を新規公開いたしました。

http://status.garyoutensei.com/


「Station-駅から始まる物語」を第1318回更新しました。

1620.阪神電鉄香櫨園駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「駅名標コレクション」を第199回更新しました。

「か」に名鉄名古屋本線金山駅を新規公開いたしました。

http://signboard.gionsyouja.com/


「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第575回更新しました。

「民間鉄道の電気機関車 図鑑」の黒部峡谷鉄道にEDR形EDR27を公開いたしました。

http://encyclopedia.shikisokuzekuu.net/

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青春の旅立ち-大阪から名古屋へ21.

2021-02-10 | 鉄道・旅行

 21.知多半田から知多武豊-名鉄の寄り道取材

大府で駅取材して13:21の始発武豊線に乗り込む。
武豊線は直流電化単線区間で、
原則的には313系2両編成が運用されている。
13:21に大府を出た列車は13:44に半田に到着する。
今回は時間的に余裕があるので、
半田から武豊までは敢えて名鉄に乗り換えて移動する。
戻る時には武豊から大府まで一気に戻り、乗り潰しを完了させる。

JR半田駅は島式1面2線の地上ホームを有する武豊線の駅である。
もともとは単式1面1線と島式1面2線構造だったが、
単式ホームがあったが今は使用されず線路も撤去されている。
そのため1番線は欠番となっていて、
2番線は下り、3番線は上りが使用する。
駅舎とホームとは跨線橋で結ばれている。
跨線橋には「開駅 明治19年3月(1886)
このこ線橋は、明治43年11月に完成JRでは最古の橋です。
昭和62年11月 半田駅」と書かれている。
東海道本線が熱海から清洲(現・枇杷島)から延伸したのは、
1886年4月1日だが、その1ヶ月前の、
同年3月1日には武豊から熱海の区間が先に敷設された。
この路線は武豊港からの資材運搬が目的であった。
半田もこの時に同時に開業している。

駅前には「知多酪農発祥の地由来」の石像が設置されて、
そこには以下のように書かれている。

    知多酪農発祥の地由来

  明治十四年頃、四代目中埜又左エ門氏は滋養と健康の
 目的で乳牛を購入し自家飲用に供していたが、
 明治十七年一月、牛乳を愛養舎豢場と名付けて営業を始めた。
  明治十九年、牧場の西に隣接した武豊線半田停車場が設置され、
 明治三十二年、柊町に移転した。
 その後、先人に習い乳牛を飼育するものが増え昭和十二年、
 知多牛乳が設立、昭和五十六年、みどり牛乳に改められ
 知多半島の酪農も大きく発展し日本一の酪農地帯となる。
  ここに、酪農発祥百年を記念し同士相集り先人の遺徳を讃え、
 碑を建立するものである。
    平成四年九月二十日
       知多酪農発祥百年を記念する会

ここから事前に用意した地図を見て名鉄知多半田まで行く。
駅前はJR半田駅よりも栄えていて、隣接するビルへ、
直接行ける渡りが設置されていた。

名古屋鉄道知多半田駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する河和線の駅である。
島式ホームが1番線、2番線、単式ホームが3番線に付番され、
1番線は上下線の折り返しや留置に使用、2番線は下り主本線、
3番線は上り主本線に使用され、橋上駅舎化されている。
名鉄知多線は知多鉄道が敷設した路線である。
知多鉄道は1927年10月14日に知多電気鉄道の社名で設立され、
同年11月24日に知多鉄道に社名を変更した。
1931年4月1日に太田川から成岩の区間が開業、知多半田も同時に開業した。
既に武豊線に半田駅があったため、区別するために知多半田とした。
知多鉄道は戦時中の1943年2月1日に名古屋鉄道に合併した。
開業時は相対式2面2線構造だったが、
1988年12月28日に橋上駅舎化され、
翌年3月5日に側線を流用して現在の1番線を新設した。

ここでは通過する車両なども取材、名鉄知多武豊まで行く。

名古屋鉄道知多武豊駅は相対式2面2線の、
地上ホームを有する河和線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用、東西に改札があるが、
画像は西口で2つホームは跨線橋で結ばれている。
1932年7月1日に成岩から河和口まで延伸、
知多武豊もこの時同時に開業した。
現在の駅舎に改築されたのは1977年10月1日である。

ここからまた事前に用意した地図を見てJR武豊まで行く。

JR武豊駅は単式1面1線の、
地上ホームを有する武豊線の駅である。
終着駅のため駅の先は車止めで切れている。
また留置用の側線も何本かある。
以前は貨物線がこの先に接続されていたが、
現在では廃止され線路も撤去されている。

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青春の旅立ち-大阪から名古屋へ20.

2021-02-09 | 鉄道・旅行

 20.大府のDLと豊竹線完乗への挑戦

昼食を喰ってそのまま青春18きっぷでJR名古屋駅に入場、
12:16名古屋発の新快速豊橋行きに乗り込む。
この段階で予定より45分の前倒しになった。
予定では名古屋で2時間4分の時間を取っていたが、
昼食を喰っただけでそのまま入場したため、
遅延を埋め合わせるだけでなく、予定を前倒しできたのだ。
ただ、電車に乗り込んで気付いたが、
予定では旅行用バッグをコインロッカーに入れるつもりだったが、
そのまま電車に持ち込んでしまった。
もう戻れないのでバッグも持ったままの取材決行になる。
新快速のため金山に停車すると次は大府である。
大府には12:31に到着、ここから武豊線に乗り換えることになっているが、
側線に貨物列車が停車しているのを目撃する。

貨物列車の場合、後回しにするといなくなってしまうこともあるので、
先にこれらを取材、このあと駅取材も決行する。

このDLは一見すると国鉄形DE10形に見えるが、
よく見ると形式名が「KE65 3」となっている。
更に車体には「衣浦臨海鉄道」と書かれていた。

衣浦臨海鉄道は衣浦湾の工業地帯の貨物輸送を目的に、
国鉄(現・JR貨物)、川崎製鉄(現・JEFスチール)や、
沿線自治体が出資して誕生した第三セクター鉄道である。
自社所有する機関車はDE10形と同一使用の、
KE65形4機が所有、廃車増備の関係で、1から3と5が在籍する。

JR大府駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
また知多半島方面に伸びる武豊線も接続しており、始発駅となっている。
駅舎側の単式ホームは東海道本線上り主本線、
内側の島式ホームの2番線は武豊線が使用、
一部東海道本線上りの待避列車も使用する。
3番線も武豊線が使用、東海道本線下り待避列車も使用する。
外側の島式ホームの4番線は東海道本線下り主本線となっている。
5番線は柵が設置されていて旅客営業は使用されず、
通過する貨物列車のみが使用する。
東海道本線が熱海から清洲(現・枇杷島)から延伸したのは、
1886年4月1日で、その1ヶ月前、
同年3月1日には武豊から熱海の区間が先に敷設された。
この路線は武豊港からの資材運搬が目的であった。
そのため武豊線の方がまっすぐ南下し、
東海道線の方が左にカーブする線形になっているが、
それは武豊線の方が先に敷設したためである。
大府に駅が出来たのは1887年9月10日である。

大府に到着した段階で始発の武豊線は12:51だが、
20分で側線の貨物列車取材と駅取材を十分にこなすのは不可能なので、
1本あとの13:21武豊線始発に乗り込むことにした。

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2021-02-08 | 更新情報

「REI RINGONO status」を第114回更新しました。

「飲食店ブログ記事」の「千葉県」に幕張「旭川味噌ラーメン・ばんから」を新規公開いたしました。

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「Station-駅から始まる物語」を第1317回更新しました。

1619.JR東海道本線さくら夙川駅を公開いたしました。

http://ringono.nengu.jp/


「駅名標コレクション」を第198回更新しました。

「と」に名鉄名古屋本線豊明駅を新規公開いたしました。

http://signboard.gionsyouja.com/


「電車」を第631回更新しました。

「直流」の近郊形に「JR九州305系電車」を加筆しました。
「直流」の近郊形に「305系空港線」の画像を添付いたしました。

http://train.bokunenjin.com/

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2021-02-07 | 更新情報

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「飲食店ブログ記事」の「千葉県」に千葉「丸の内ディンドン」を新規公開いたしました。

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「Station-駅から始まる物語」を第1316回更新しました。

1618.阪急電鉄夙川駅を公開いたしました。

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「駅名標コレクション」を第197回更新しました。

「か」に名鉄蒲郡線蒲郡駅を新規公開いたしました。

http://signboard.gionsyouja.com/


「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第574回更新しました。

「民間鉄道の電気機関車 図鑑」の黒部峡谷鉄道にEDR形EDR25を公開いたしました。

http://encyclopedia.shikisokuzekuu.net/

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2021-02-06 | 更新情報

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「き」に名鉄蒲郡線吉良吉田駅を新規公開いたしました。

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青春の旅立ち-大阪から名古屋へ19.

2021-02-05 | 鉄道・旅行

 19.予定変更-時短の近鉄で名古屋へ

四日市あすなろう鉄道の全駅を取材し、
内部からあすなろう四日市まで戻った。
このあと隣の近鉄四日市駅に行き、
11:10四日市発の急行名古屋行きに乗り込む。
本来の予定では、

 09:52近鉄四日市※-近鉄名古屋線・上り(8)-10:00近鉄富田[14]
 10:14富田-関西本線・上り(44)-10:58名古屋[124/2:04]

 ※昼食/矢場とん・名古屋駅名鉄店

 13:02名古屋-東海道本線・上り(15)-13:17大府

となっており、富田から青春18きっぷを使うことにしていたが、
近鉄富田とJR富田の乗り換えを事前に確認していなかったこともあり、
また名古屋発が1時間18分の遅延のため、
時間短縮のため、富田で下車せず、そのまま終点の名古屋まで行く。
乗り込んだ列車が急行だったため、33分で名古屋に到着する。
普通列車だと62分かかるので、
追加料金不要の急行に乗り込んだのは正解である。
名古屋到着は11:43で、この段階で遅延は45分に短縮された。
ここからJRに乗り込んで武豊線乗り潰しに挑戦するが、
その前に予定していた「矢場とん・名古屋駅名鉄店」に行き、
昼食としてわらじとんかつ定食1,800円を喰う。
このあとそのままJR名古屋駅の有人改札に行き、
青春18きっぷの4回(人)のところに、
「(海)名古屋駅 8.-9 入鋏済M」と検印してもらう。
8月9日日曜日は午後になって漸く青春18きっぷを使用する。

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青春の旅立ち-大阪から名古屋へ18.

2021-02-04 | 鉄道・旅行

 18.再びの内部と予定オーバーの撤収

南日永から下り列車に乗り込んで終点の内部に行く。
内部は近鉄時代にも取材したことがあり、2度目の訪問である。

四日市あすなろう鉄道内部駅は単式1面1線の、
地上ホームを有する内部線の駅である。
内部線は1911年に設立された三重軌道が敷設した路線で、
1912年10月6日に南浜田(現・廃止)から日永の区間が部分開業、
その後延伸が続けられて1916年7月に三重鉄道が設立され、
三重軌道の路線を継承して更に延伸が続く。、
1922年1月10日には日永から小古曽まで延伸、
同年6月21日に小古曽から内部まで延伸して全通した。
この時に終着駅として開業している。
内部線、八王子線で唯一の車両基地である内部車庫が併設されている。

近鉄時代の内部駅。

 ※撮影日時 2007/03/17 16:20:13

この駅は終着駅ではあるが、当初はこの先の延伸計画もあり、
そのため駅から先にも少し線路は延びている。

ここで折り返し発車を待つ間に車両取材して、
始発列車であすなろう四日市まで戻る。
既に予定の時間をオーバーしており、
10:35内部始発で17分掛けてあすなろう四日市まで戻る。
あすなろう四日市到着は10:52で、
従来の乗り潰しのみの予定では09:32に戻ることにしていたため、
1時間20分の予定超過である。
しかし今後の予定では昼の名古屋乗り換えで2時間4分、
帰りの新幹線乗り換えで1時間44分の乗り換え時間を設定しており、
イレギュラー対応も考慮した時間配分になっている。
この時間を上手く利用して遅延を取り戻さなければならない。

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青春の旅立ち-大阪から名古屋へ17.

2021-02-03 | 鉄道・旅行

 17.あすなろう-泊と追分と南日永

小古曽で駅取材をしてから、
上り線で2つ戻って泊に行く。
この時乗った電車が263編成で、
この列車モ263+サ123+ク163は、
一部の床がガラス張りになっている「シースルー列車」である。

台車の上の部分がガラスで下が見えるようになっており、
正しくシースルーを楽しめるようになっている。

泊駅は島式1面2線の地上ホームを有する、
内部線の駅である。
1番線は上り、2番線は下りが使用、
上下線の行き違いに使用される。
駅舎とホームとは構内踏切で繋がっている。
内部線は1911年に設立された三重軌道が敷設した路線で、
1912年10月6日に南浜田(現・廃止)から日永の区間が部分開業、
1913年5月16日には南浜田から諏訪前まで延伸、
1915年12月25日には諏訪前から四日市まで延伸された。
1916年7月に三重鉄道が設立され、三重軌道の路線を継承、
1922年1月10日には日永から小古曽まで延伸、
この時同時に開業した。

泊から下り線でひとつ先の追分に行く。

追分駅は単式1面1線の地上ホームを有する内部線の駅である。
内部線は三重軌道が敷設した路線で、
1912年10月6日に南浜田(現・廃止)から日永の区間が部分開業、
その後延伸が続き、1916年7月に三重鉄道が設立され、
三重軌道の路線を継承、1922年1月10日には日永から小古曽まで延伸、
同年6月21日に小古曽から内部まで延伸して全通した。
追分はこの時に同時に開業している。

駅を出て車両取材をすべく辺りを散策する。
道路標識にはまだ「近鉄追分駅」と書かれていた。

三重鉄道は1944年2月11日に三重交通に合併、
戦後の1964年2月1日に鉄道部門を分社化し、
三重電気軌道が誕生、これを1965年4月1日に近鉄が合併した。
長らく近鉄の路線として活躍してきたが、
ナローゲージ路線で車両の転用などが出来ないため、
近鉄は廃止を検討、四日市市と協議して、
結論として鉄道施設を四日市市が保有、
近鉄と四日市市の出資の新会社が運営することになった。
そして2014年に四日市あすなろう鉄道が設立、
近鉄の内部線と八王子線を2015年4月1日からを引き継いだ。

追分駅付近を通過する列車を取材する。

そのあと上り線で南日永に戻り駅取材する。

南日永駅は単式1面1線の地上ホームを有する内部線の駅である。
内部線が1922年1月10日には日永から小古曽まで延伸、
この時に当時に開業した。

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青春の旅立ち-大阪から名古屋へ16.

2021-02-02 | 鉄道・旅行

 16.突然の予定変更、あすなろう-日永と赤堀と小古曽

八王子線西日野では列車の折り返し時間で駅取材、
慌ててここまで来た列車に乗り込み、隣の日永まで戻る。

日永駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する内部線の駅である。
また八王子線始発駅としても分岐するが、
運行上は全ての列車があすなろう四日市から発着する。
氏の式ホームは分岐する線路に合わせて三角形の形になっている。
駅舎側の単式ホームが1番線に付番、内部線下りが使用、
三角形のホームの内側が2番線に付番、内部線上りが使用、
3番線は八王子線の上下線が使用する。
日永に最初に駅が出来たのは八王子線で、
1911年に設立された三重軌道により、
1912年8月14日に日永から四郷までが開業した。
この時起点駅として開業した。
内部線は1912年10月6日に南浜田から日永の区間が開業した。

日永駅の島式ホームは「四日市あすなろう鉄道の台車」が設置されている。

そこには標準軌、狭軌、ナローゲージの実寸大の線路も設置されていて、
そこには以下のような説明文も着いている。

 この台車は、四日市あすなろう鉄道で実際に使用していたものです。
 当鉄道では、全国で3社しか運行していない特殊狭軌(ナローゲージ)の
 線路であり、日永駅は全国で唯一のナローゲージの分岐駅です。
 特殊狭軌の線路幅は762mmで、新幹線などの標準軌の線路幅(1,435mm)
 の約半分しかありません。市内には、標準軌(1,435mm)の近畿日本鉄道
 名古屋線・湯の山線や、狭軌(1,067mm)のJR関西本線、
 三岐鉄道三岐線、伊勢鉄道伊勢線が走っています。

本来はこのあと内部まで乗り潰してあすなろう四日市まで戻り、
今回の四日市あすなろう鉄道の乗り潰しは完了するつもりだったが、
1日乗車券を購入したこともあり、
またホテルを予定よりも早く出たこともあって、
突如予定を変更して全駅取材することにした。
まずはあすなろう四日市と日永の中間駅である赤堀に行く。

鉄道赤堀駅は単式1面1線の地上ホームを有する内部線の駅である。
ホームと階段の間に小さな駅舎はあるものの無人駅である。
内部線は1911年に設立された三重軌道が敷設した路線で、
1912年10月6日に南浜田(現・廃止)から日永の区間が部分開業、
この時に中間駅として同時に開業した。

赤堀で内部線下りの到着を待ち、小古曽に行く。

小古曽駅は単式1面1線の地上ホームを有する内部線の駅である。
内部線は1911年に設立された三重軌道が敷設した路線で、
1912年10月6日に南浜田(現・廃止)から日永の区間が部分開業、
1913年5月16日には南浜田から諏訪前まで延伸、
1915年12月25日には諏訪前から四日市市まで延伸された。
1916年7月に三重鉄道が設立され、三重軌道の路線を継承、
1922年1月10日には日永から小古曽まで延伸、この時終着駅として開業、
同年6月21日に小古曽から内部まで延伸、全通した。

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2021-02-01 | 更新情報

「REI RINGONO status」を第112回更新しました。

「飲食店ブログ記事」の「千葉県」に京成幕張「中華料理 松楽」を新規公開いたしました。

http://status.garyoutensei.com/


「Station-駅から始まる物語」を第1314回更新しました。

1616.神戸市営地下鉄西神中央駅を公開いたしました。

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「駅名標コレクション」を第195回更新しました。

「き」に名鉄西尾線吉良吉田駅を新規公開いたしました。

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「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第573回更新しました。

「民間鉄道の電気機関車 図鑑」の黒部峡谷鉄道にEB形EB5を公開いたしました。

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「電車」を第631回更新しました。

「直流」の近郊形に「JR九州305系電車」を加筆しました。
「直流」の近郊形に「305系空港線」の画像を添付いたしました。

http://train.bokunenjin.com/

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