21.知多半田から知多武豊-名鉄の寄り道取材
大府で駅取材して13:21の始発武豊線に乗り込む。
武豊線は直流電化単線区間で、
原則的には313系2両編成が運用されている。
13:21に大府を出た列車は13:44に半田に到着する。
今回は時間的に余裕があるので、
半田から武豊までは敢えて名鉄に乗り換えて移動する。
戻る時には武豊から大府まで一気に戻り、乗り潰しを完了させる。
JR半田駅は島式1面2線の地上ホームを有する武豊線の駅である。
もともとは単式1面1線と島式1面2線構造だったが、
単式ホームがあったが今は使用されず線路も撤去されている。
そのため1番線は欠番となっていて、
2番線は下り、3番線は上りが使用する。
駅舎とホームとは跨線橋で結ばれている。
跨線橋には「開駅 明治19年3月(1886)
このこ線橋は、明治43年11月に完成JRでは最古の橋です。
昭和62年11月 半田駅」と書かれている。
東海道本線が熱海から清洲(現・枇杷島)から延伸したのは、
1886年4月1日だが、その1ヶ月前の、
同年3月1日には武豊から熱海の区間が先に敷設された。
この路線は武豊港からの資材運搬が目的であった。
半田もこの時に同時に開業している。
駅前には「知多酪農発祥の地由来」の石像が設置されて、
そこには以下のように書かれている。
知多酪農発祥の地由来
明治十四年頃、四代目中埜又左エ門氏は滋養と健康の
目的で乳牛を購入し自家飲用に供していたが、
明治十七年一月、牛乳を愛養舎豢場と名付けて営業を始めた。
明治十九年、牧場の西に隣接した武豊線半田停車場が設置され、
明治三十二年、柊町に移転した。
その後、先人に習い乳牛を飼育するものが増え昭和十二年、
知多牛乳が設立、昭和五十六年、みどり牛乳に改められ
知多半島の酪農も大きく発展し日本一の酪農地帯となる。
ここに、酪農発祥百年を記念し同士相集り先人の遺徳を讃え、
碑を建立するものである。
平成四年九月二十日
知多酪農発祥百年を記念する会
ここから事前に用意した地図を見て名鉄知多半田まで行く。
駅前はJR半田駅よりも栄えていて、隣接するビルへ、
直接行ける渡りが設置されていた。
名古屋鉄道知多半田駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する河和線の駅である。
島式ホームが1番線、2番線、単式ホームが3番線に付番され、
1番線は上下線の折り返しや留置に使用、2番線は下り主本線、
3番線は上り主本線に使用され、橋上駅舎化されている。
名鉄知多線は知多鉄道が敷設した路線である。
知多鉄道は1927年10月14日に知多電気鉄道の社名で設立され、
同年11月24日に知多鉄道に社名を変更した。
1931年4月1日に太田川から成岩の区間が開業、知多半田も同時に開業した。
既に武豊線に半田駅があったため、区別するために知多半田とした。
知多鉄道は戦時中の1943年2月1日に名古屋鉄道に合併した。
開業時は相対式2面2線構造だったが、
1988年12月28日に橋上駅舎化され、
翌年3月5日に側線を流用して現在の1番線を新設した。
ここでは通過する車両なども取材、名鉄知多武豊まで行く。
名古屋鉄道知多武豊駅は相対式2面2線の、
地上ホームを有する河和線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用、東西に改札があるが、
画像は西口で2つホームは跨線橋で結ばれている。
1932年7月1日に成岩から河和口まで延伸、
知多武豊もこの時同時に開業した。
現在の駅舎に改築されたのは1977年10月1日である。
ここからまた事前に用意した地図を見てJR武豊まで行く。
JR武豊駅は単式1面1線の、
地上ホームを有する武豊線の駅である。
終着駅のため駅の先は車止めで切れている。
また留置用の側線も何本かある。
以前は貨物線がこの先に接続されていたが、
現在では廃止され線路も撤去されている。