rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ねこ怒られ、へそ曲げる(2)

2011-09-06 22:56:34 | ねこ


旧母屋をきれいに掃除し片付けてからというもの、縁側のガラス戸を開け放ち、空気の交換をしている。

ねこは、床の間においてあるテーブルの下に寝転がるのか好きだ。
辺りを見回してから、ひょいと縁側に飛び乗る。
ゆっくりと、お気に入りの場所に行って、ごろりと横たわる。
それに飽きると、やおら起き上がりゆっくりと伸びをし、そのままの姿勢から、畳で爪を研ぎ始めるのだ。
これはいけない、畳がぼろぼろになってしまう。
しかたがないから、まず、ねこを呼んでみる。
全く知らん顔の体で、目をそらす。
ねこがそうするのなら、実力行使あるのみ。
座敷に上がりこみ、ねこを抱き上げて、外に下ろす。
でも、全く意に介さないようだ。
そうこうするうちに、ねこが座敷でカリカリ爪を研いでいるところを、とうとう家人に現場を見られてしまった。
こらーっ!ねこ!!
ねこは、ビックリ仰天、一目散に逃げ出した。
しばらくしてから、ねこがやっと姿を現した。
そんなねこに、座敷に上がるのはもちろんのこと、畳で爪を研ぐのはもってのほかと、面と向かって言い聞かせた。
ねこは、実に不満そうにそっぽを向いて、その目には怒りの色さえ帯びているではないか。
やはり、ねこだ。
天上天下唯我独尊なのだ。
へそを曲げたねこは、縁台の下に寝そべって、何食わぬ顔をしていたのは、いうまでもない。

※アップするときの事故により、初めの文章が消えてしまったと思って、思い出しながら書き直したもの。

ねこ怒られ、へそ曲げる(1)

2011-09-06 22:29:10 | ねこ


旧母屋をきれいに掃除と片付けをしてから、毎日縁側のガラス戸を開け放って、空気の入れ替えをしている。
ねこは、床の間においてあるテーブルの下を気に入っている。
辺りを見回して何気なく縁側に飛び乗り、テーブルの下にごろりと寝ころがる。
そして、寝るのに飽きると、むくりと起き上がって、まず伸びをする。
そのままの状態で、畳で爪を研ぎ始める。
これはいけない。畳がぼろぼろになってしまう。
しかたがないから、猫を呼んで座敷からどかせようとする。
ねこは、ちらとこちらを見てから、やおらそっぽを向いて知らん振りを決め込む。
こうなっては実力行使しかない。
座敷に上がりこんで、ねこを抱き上げ、小言を言いながら外に下ろす。
そんなことを繰り返しているうちに、座敷でくつろぐ姿を家人に見つかってしまった。
こらーっ!ねこ!!
怒られてビックり仰天、ねこは一目散に逃げ出した。
しばらくして庭で見かけたねこに、座敷に上がり畳での爪とぎはいけないと言い聞かせれば、なにやら気分を害したみたいに目が怒りを帯びているではないか。
やはりねこだ。
天上天下唯我独尊なのだ。
その日一日は、座敷に上がることなしに、縁台の下などで寝そべっていた。
もちろん、へそを曲げてすねた気分を露わにしながら。

永遠に切り取られた空間、アルノルト・ベックリン"死の島"

2011-09-06 00:28:36 | アート

死の島


死の島

光も空気も何もかも身じろぎ一つしないく静寂が支配している、まるでアクリル樹脂に閉じ込められたかのようなベックリンの世界。
彼は、"死の島"をモチーフとして気に入り、5作品描いたという。
現存しているのは、そのうち4点。
ある特定のモチーフを繰り返し描くことは、ままある。
可能な表現で安住するではなく、気が済むまで少しずつ構図を変えながら、よりよい表現を模索する。
彼の絵筆は、声高に主張することなくして、実に雄弁。
アカデミックな技法をしっかりと身につけたからこその、あの静謐感ではないか。
この絵に対峙していると、異次元の世界に迷い込んだような気がする。
ベックリンを世紀末・象徴主義の画家と言い表すが、異次元の幻視者といったほうが相応しいのではなかろうか。
ミヒャエル・エンデの著書に"自由の牢獄"というのがある。
先のブログで、"遠い旅の目的地"について書いたが、その短編が納まっている本である。
不可思議な物語たちなのだが、ベックリンのイマジネイションに通じるものがあると思うのは、自分の思い違いか。
世界第一次大戦後のドイツ国民に、ベックリンの"死の島"は非常に人気があったとか。
エンデもドイツ人、ゲルマン的感覚で、ストイックな異次元の幻視者の気質があるのかもしれない。




聖なる森