桜が咲き誇る春の日、犬吠埼へドライブ。
35年前に行ったときとは、さすがに道路も道沿いの風景も変わっている。
臨海工業地帯の向こうには、風力発電の大きな羽がゆっくりと回る。
ドラッグストアやスーパーマーケット、コンビニエンスストアにフランチャイズのファストフード、地域によってその系統に差はあれど、今の日本のどこでも似たような街の構成だろう。
そしてところどころにかつて営業していたそのような店の名残りが打ち捨てられ、全国展開の店の波に飲み込まれた飲食店の遺跡が転がっていた。
最近この辺りの風景に加わったニューフェイスの太陽光発電をするソーラーパネル、黒く平らな顔を斜め20度くらいで空を見上げる。
利根川に架かる橋を渡り、銚子の街に入っていく。
ヤマサ醤油の大きな工場を眺め、道の並びに点在する煎餅屋の使う醤油はもちろん「ヤマサ醤油」だろうと話しながら犬吠埼へと車は向かう。
古くから栄えていたと思われる狭く曲がりくねりアップダウンの細かくある道を抜け、海岸沿いの通りに出ると、犬吠埼の白い灯台が見えてきた。
最後の坂を上って駐車場に車を止め、見晴台から海を一望し歓喜の声を上げる。
白い波が、古生代から中生代の地層が露出し斜めに地層が見える岩に打ちつける。
家族で記念写真を撮ってから、いよいよ灯台に登る。
99段の螺旋階段を上っていくけれど、子供たちは軽々とあっという間に上がってしまい、自分はまたしっかりと老いを感じる灯台見物。
灯台の展望台に出ると、地上では寒になかった強い風が頬を打ち、海抜から50メートルほど上がっただけでの変わりようにに驚く。
銚子沖は、暗礁が多い難所で、黒潮と親潮の出会う場は豊富な漁場をもたららすだけでなく濃霧も発生しやすい。
濃い霧に光が邪魔されても船の航行の安全を守るために、霧笛の施設が備わっていたけれど、開始後丁度100年の節目を迎える2008年にその役を終えたということだ。
灯台から眺める太平洋は、どこまでも広く、かつ今日は穏やかであった。
小さい人は海辺で磯遊びを楽しみ、私も同行したが、ゴロゴロと転がっている大きな石に砂岩が多く混じっているのを見て、これで何かを作ったら面白そうだと想像していた。
あとで家人も石の種類が砂岩であり大洗と違うことに驚いたといっていたのを聞いて、同じところに目がいくと笑いあった。
また、大学生の頃に来たときに気がつかなかったのは知識が自分のものになっていなく、そうなるには時間と余裕が要るのだろうかと話していた。
時を置いて再び訪れるということは、先日の茶臼岳の話にも出たがやはりいいものだ。
多くの場所を旅するのとは違い、過ぎ行く時間が場所と自分に深い考察の機会を与えてくれる。
35年、それにしてはちょっと間が開きすぎなような気もするけれど・・・
35年前に行ったときとは、さすがに道路も道沿いの風景も変わっている。
臨海工業地帯の向こうには、風力発電の大きな羽がゆっくりと回る。
ドラッグストアやスーパーマーケット、コンビニエンスストアにフランチャイズのファストフード、地域によってその系統に差はあれど、今の日本のどこでも似たような街の構成だろう。
そしてところどころにかつて営業していたそのような店の名残りが打ち捨てられ、全国展開の店の波に飲み込まれた飲食店の遺跡が転がっていた。
最近この辺りの風景に加わったニューフェイスの太陽光発電をするソーラーパネル、黒く平らな顔を斜め20度くらいで空を見上げる。
利根川に架かる橋を渡り、銚子の街に入っていく。
ヤマサ醤油の大きな工場を眺め、道の並びに点在する煎餅屋の使う醤油はもちろん「ヤマサ醤油」だろうと話しながら犬吠埼へと車は向かう。
古くから栄えていたと思われる狭く曲がりくねりアップダウンの細かくある道を抜け、海岸沿いの通りに出ると、犬吠埼の白い灯台が見えてきた。
最後の坂を上って駐車場に車を止め、見晴台から海を一望し歓喜の声を上げる。
白い波が、古生代から中生代の地層が露出し斜めに地層が見える岩に打ちつける。
家族で記念写真を撮ってから、いよいよ灯台に登る。
99段の螺旋階段を上っていくけれど、子供たちは軽々とあっという間に上がってしまい、自分はまたしっかりと老いを感じる灯台見物。
灯台の展望台に出ると、地上では寒になかった強い風が頬を打ち、海抜から50メートルほど上がっただけでの変わりようにに驚く。
銚子沖は、暗礁が多い難所で、黒潮と親潮の出会う場は豊富な漁場をもたららすだけでなく濃霧も発生しやすい。
濃い霧に光が邪魔されても船の航行の安全を守るために、霧笛の施設が備わっていたけれど、開始後丁度100年の節目を迎える2008年にその役を終えたということだ。
灯台から眺める太平洋は、どこまでも広く、かつ今日は穏やかであった。
小さい人は海辺で磯遊びを楽しみ、私も同行したが、ゴロゴロと転がっている大きな石に砂岩が多く混じっているのを見て、これで何かを作ったら面白そうだと想像していた。
あとで家人も石の種類が砂岩であり大洗と違うことに驚いたといっていたのを聞いて、同じところに目がいくと笑いあった。
また、大学生の頃に来たときに気がつかなかったのは知識が自分のものになっていなく、そうなるには時間と余裕が要るのだろうかと話していた。
時を置いて再び訪れるということは、先日の茶臼岳の話にも出たがやはりいいものだ。
多くの場所を旅するのとは違い、過ぎ行く時間が場所と自分に深い考察の機会を与えてくれる。
35年、それにしてはちょっと間が開きすぎなような気もするけれど・・・