rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

可哀相なムソルグスキー

2013-09-12 11:39:25 | インポート
object width="420" height="315"><param name="movie" value="//www.youtube.com/v/L5Wt7j368K0?hl=ja_JP&amp;version=3"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="//www.youtube.com/v/L5Wt7j368K0?hl=ja_JP&amp;version=3" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>
Mussorgsky: Pictures at an Exhibition - Promenade I

中くらいの人が、この曲を聴いてこう叫んだ。
「この曲は嫌いだ!」
何を藪から某にそう言うのか尋ねてみたところ、学校の給食時間にこの曲が流れ、好き嫌いの多い彼にとって苦痛の時間を告げるものだというのだ。
特に何にでもよく入り込む「キノコ類」が一番の苦手では、確かに困る。
味も風味も強いキノコたちは、それを受け付けないものにとっては拷問に等しい。
また、料理を作るものにとっても、キノコがアウトだと結構レパートリーに影響大でもある。

気の毒なムソルグスキー。
彼の「展覧会の絵」の「第一プロムナード」に何の落ち度もないのが、パブロフの条件よろしくすり込まれた悪いイメージによって、我が家の中くらいの人にとって嫌悪すべき音楽になってしまった。

ムソルグスキーに限らず、キャッチーな音楽というものは、あらゆる場面で使われる。
だから人によっては、辛い記憶を呼び覚ますものになりうるわけで、バッハもベートーベンもどの作曲家にしてもこの難を目脱がれることはできない。
反面、幸せな記憶を引き出す効果も持ち合わせているから、相殺されるということか。

いかにせよ、人の生活に挿入される記憶に残る音楽というものは、不死の力を持っている。
絶えず誰かの心を刺激し、記憶を立ち上げ、その逆も然り。
だからムソルグスキーよ、あなたの曲は永遠に消えることはないだろう。
どうか我が中くらいの人を哀れみたまえ。



La grande porte de? Kiev / Modest Petrovich Mussorgsky

最新の画像もっと見る

コメントを投稿