本日、仕事帰りに立ち寄ったお店で、
「子供なんて、海のものか山のものかもわからないのに、
お金をかけるなんて全くもってして無駄!!
そんなのただの投機でしかないから、
私は、子供になんか、無駄なお金をかけない!!」
という会話の一部が耳に入ってきました。
上記のお話の中の一部は、
諺の、
『海の物とも山の物ともつかぬ』からきます。
その意味としては、
「物事の形や傾向などが、はっきりしないで、先の見通しが分からないものへの言葉。
その人が出世するかどうかの予測がつかないことへの言葉。」
です。
その方は、
「投機は投機であって、投資とは違う。
投資は自分へかえってくるのを期待して投資するわけでしょ?
投機は、お金を捨てるようなものだから、子供になんか絶対にお金を使わない。
お金のかからない方法でやっていけたら、それが一番。」と仰っていました。
もしや「投機」って「投棄」?
そんなはずはありません、、、。
『投資』とは、
「利益を得る目的で、事業・不動産・証券などに資金を投下すること。
将来を見込んで、金銭や力をつぎ込むこと。」
人それぞれの考え方があって当然です。
私などは、
「海のものとも山のものともわからないのだから、
かけられる範囲で、
出来得る範囲で、
愛情や時間やお金を掛けてあげるのが親の役目」なんて思ってしまいます。
ふと、
思いました・・・。
子宝授かりも同じようなものなのかもしれない・・・と。
時間もお金もかけないで授かったらそれが一番!
不妊治療通院なんてものは『投機』・・・『投棄』だと思う方もいれば、
時間もお金もかけてでも、何とか一周期でも早く子宝が授かりたい、、、
だから、それは自分へ、そして未来の子供への『投資』なのだと思う方もいる・・・。
価値観は人それぞれです。
帰宅して、
その話を息子にしましたところ、
「その話をなぞって考えたとして、
僕がニートになったら、お母さんの子育ても『投機』になってしまうというわけだ。
でも、人生なんて長いわけだから、
一時期ニートになったとしても、
どこかで目覚めて、
再度、
頑張り始める事が出来たら、それはまた『投資』に戻るっていうわけだよね。
幸せなニートであれば、双方にとって何ら問題はないわけだし、
何が『投機』で何が『投資』かはわからないよね、価値観の問題なだけだからね。
ただ、子供が一番に求めているものは、
『投機』だとか『投資』だとかのお金だけの問題よりも、
遠くからずっと見守ってくれる大きな愛だよね。」と。
そこで出てきた”大きな愛”というものは、
どこまでを指している(=見放してくれる愛?)なのか分かりませんけれども、
与え続けて枯渇したとしても、
決して見返りを求めないのが、
親の愛情なのかもしれないと思った次第です。
肝心の『投機』と『投資』の結論がうやむやになってしまいましたが、
そこでやっと、思い出しました、、、
”下流の宴~雑感”(6月1日記)の例の続きを書かなくてはと・・・。
ーby事務長ー
とくおかレディースクリニック
「子供なんて、海のものか山のものかもわからないのに、
お金をかけるなんて全くもってして無駄!!
そんなのただの投機でしかないから、
私は、子供になんか、無駄なお金をかけない!!」
という会話の一部が耳に入ってきました。
上記のお話の中の一部は、
諺の、
『海の物とも山の物ともつかぬ』からきます。
その意味としては、
「物事の形や傾向などが、はっきりしないで、先の見通しが分からないものへの言葉。
その人が出世するかどうかの予測がつかないことへの言葉。」
です。
その方は、
「投機は投機であって、投資とは違う。
投資は自分へかえってくるのを期待して投資するわけでしょ?
投機は、お金を捨てるようなものだから、子供になんか絶対にお金を使わない。
お金のかからない方法でやっていけたら、それが一番。」と仰っていました。
もしや「投機」って「投棄」?
そんなはずはありません、、、。
『投資』とは、
「利益を得る目的で、事業・不動産・証券などに資金を投下すること。
将来を見込んで、金銭や力をつぎ込むこと。」
人それぞれの考え方があって当然です。
私などは、
「海のものとも山のものともわからないのだから、
かけられる範囲で、
出来得る範囲で、
愛情や時間やお金を掛けてあげるのが親の役目」なんて思ってしまいます。
ふと、
思いました・・・。
子宝授かりも同じようなものなのかもしれない・・・と。
時間もお金もかけないで授かったらそれが一番!
不妊治療通院なんてものは『投機』・・・『投棄』だと思う方もいれば、
時間もお金もかけてでも、何とか一周期でも早く子宝が授かりたい、、、
だから、それは自分へ、そして未来の子供への『投資』なのだと思う方もいる・・・。
価値観は人それぞれです。
帰宅して、
その話を息子にしましたところ、
「その話をなぞって考えたとして、
僕がニートになったら、お母さんの子育ても『投機』になってしまうというわけだ。
でも、人生なんて長いわけだから、
一時期ニートになったとしても、
どこかで目覚めて、
再度、
頑張り始める事が出来たら、それはまた『投資』に戻るっていうわけだよね。
幸せなニートであれば、双方にとって何ら問題はないわけだし、
何が『投機』で何が『投資』かはわからないよね、価値観の問題なだけだからね。
ただ、子供が一番に求めているものは、
『投機』だとか『投資』だとかのお金だけの問題よりも、
遠くからずっと見守ってくれる大きな愛だよね。」と。
そこで出てきた”大きな愛”というものは、
どこまでを指している(=見放してくれる愛?)なのか分かりませんけれども、
与え続けて枯渇したとしても、
決して見返りを求めないのが、
親の愛情なのかもしれないと思った次第です。
肝心の『投機』と『投資』の結論がうやむやになってしまいましたが、
そこでやっと、思い出しました、、、
”下流の宴~雑感”(6月1日記)の例の続きを書かなくてはと・・・。
ーby事務長ー
とくおかレディースクリニック