つれづれ日記

心と目の記録

悪性腫瘍

2006-03-31 12:37:32 | Weblog
3月20日にMさんから電話があり、ピレニーズのK君が今日、獣医院で後肢の足首が骨肉腫らしいと診断されて、治療法はなく断脚手術をするか、しないほうが良いかとの相談だった。其の日から私も過去の例の記録を調べ悪性腫瘍について改めて調べる毎日だった。
そして昨日、生検の結果、骨肉腫と獣医師から電話でうけて、決断を迫られる時がきたMさんの悲痛な電話。
大型犬のピレニーズは体重があり、英国系の大きい犬で70キロもある。
標準は45キロから57キロくらいで昔より今は少ないが犬の中では超大型犬に属す。
私の記録によると、肢の骨肉腫は足首手首に当たる部分が多く、断脚の場合は肢の付け根から断脚する。しかし術後2ヶ月から5ヶ月くらいで死亡、1頭だけ1年8ヶ月の余命を授かったメスがいるが、例外である。
1990年から私が関わった骨肉腫のピレニーズの記録があり、約40頭のうち断脚したのは8頭でその過程の記録を見ると、手術をしない犬との余命に余り違いは無い。
その子の体力、腫瘍の大きさや部位などでみんな違う。
断脚して3本足で大きな体を支えるのは想像以上に負担が大きい。
前肢の場合は残った一本を真ん中にもって行きバランスをとるが、後肢の場合は立ったり座る場合に無理がいき、残った肢が痛み、体もよじれて可哀想だったと後悔したIさんの言葉を思い出す。
メスを入れずに抗癌剤と傷み止めで最後まで大事に見守り安らかに旅立ったピレニーズたちの飼い主は悲しみの中にも、後悔は無い。
私は獣医ではないので良く分からないけれども、相談を受ける度に自分の犬と同じ気持ちで考え、文献を調べたりし、過程を記録しているので、肢の異常の電話を頂いたときに、感で骨肉腫と分かったっ事が何べんもある。
獣医に断脚手術しか助ける方法は無いと言われたMさんのご心境が察せられ、最近は腫瘍のことばかり検索したりして頭から離れない。
私の15年間の記録が少しでもお役にたてば嬉しい。小型犬なら足が無くても抱っこすれば良いが、大型犬は人間並みなんで容易ではない。

ピンクのヒヤシンス

2006-03-24 00:41:38 | Weblog
今年ベランダで咲かせたピンクと紫のヒヤシンスは花の付が良く無かったので、同じ球根が咲かせた昨年のピンクの花の写真を載せて見ました。
花びらが蝋のような淡いピンクで他の花に無い味わいを持っています。
水栽培や園芸店にある花は皆このオリエンタリス系の豪華な種類です。
この球根は友人に頂いてからもう4年目、何年生きられるのでしょう。
ローマン・ヒヤシンスが25年以上も我が庭で毎年3月に花を楽しませてくれたことに驚きと感謝です。

ローマン・ヒヤシンス

2006-03-22 14:51:18 | Weblog
絶世の美少年の化身と言われるヒヤシンス、日本への渡来は幕末で、一般に庭で育てるヒヤシンスはギリシャから小アジア地方に生えるオリエンタリスという種で花穂が大きく花が密に着く。
25年も前に球根を分けていただいたローマン・ヒヤシンスという系統のヒヤシンスは最近余り見られない種類で華やかではないが、原種のように風情があり
、私のお気に入りだ。25年間毎年庭に咲き、種子が飛んで庭のあちこちに自生し、日陰の大きな石と石の間から芽を出して花を咲かせたことがあった。
普通のヒヤシンスも大好きなので毎年其の蝋で出来たような花びらに魅せられて、香りを楽しみながら見入ってしまう。
引越しで球根を少し持ってきてベランダで咲かせたヒヤシンス達、春の訪れと共に心を癒してくれて有難い。ローマン・ヒヤシンスは地植だと写真よりもっと背が高くそそとそている。

マウスで描いた富士山の絵

2006-03-20 00:26:43 | Weblog
昨日も今日も富士山に会うことは出来なかった。
私がパソコンを求めたのは2002年の11月のことで、パソコン教室に通ってようやくワードを書けるようになった翌年の2003年の1月にインターネットを始めた。
沢山の友人からのメールの励ましに恵まれ、面白くて4月からは踊る電子メールに懲り、5月から念願のペイントを一人で試してみた。
描いて利用したいのはまずピレニーズの絵、好きなお花や風景を描き、秋になって富士山を描いた。ペイントを出して使い方は自己流なので、工夫したが大変苦労した。
山中湖の平野地区から、友人が写した写真を見て描いたものだ。
此処にはピレニーズの有名なT犬舎があり、訪問した時には湖畔に行く時間が無く車の中から仰ぎ見ただけ。
犬舎主のM氏はチャンスと思ったときにはカメラを持って湖畔に下りて冨士の写真を撮る方で、真っ赤な素晴らしい赤冨士の写真を頂いたことがある。
2005年になって、お教室で水彩画のソフトを使ったペイントを習い、これなら本当に楽に描けると感心した。
パソコンのマウスだけで絵が描けるとは、信じられない世界だ。

3月17日に真っ白い富士山が!

2006-03-18 01:23:12 | Weblog
朝は見えなかったのに、9時25分にベランダに出たら真っ白い富士山がパッと目に入り嬉しくなってカメラでパチリ!
1時間後にそして其の後も時々ベランダで富士山にご対面。
お昼になったら薄くなり、やがて見えなくなってしまった。
地図の上で計るとおよそ120キロメートルの遠くにそびえる富士山。
ありがたく、嬉しくてウキウキした一日だった。

夕暮れの冨士

2006-03-16 15:33:51 | Weblog
晴れの日は、起きると一番にベランダにでて西の方を見渡す。
3月に入ってから一度も姿を見せない富士山、秋までは見ることが出来ないのだろうか。
14日に載せた朝の冨士は、2月4日の朝8時00分撮影し、今日の夕暮れの冨士は1月28日17時19分に撮影した写真である。
デジカメは撮影のデータが全部記録されるので、記録に残すのに誠に有難い。
何故私は富士山に心惹かれるのだろうか自分で分からない。

もう半世紀以上前に、私は武蔵境にある都立M女学校に通っていた。
校舎の近くの畑地の西のかなたに、富士山が裾の方まで広がって見え、ある晴れたお正月の朝の冨士は金色のひかりが射して、神々しく私の目と心に写った。
私にとって生涯忘れられない美しい姿の冨士であった。
当時武蔵境は畑が続き、高い建物が無かったから、かなり裾の方まで見えたのだろう。
現在は男女共学の受験校都立M高校で、周囲の環境は昔の面影はひとかけらも無いそうだ。

冨士山に惹かれて

2006-03-14 23:50:45 | Weblog
父が設計して立てた吉祥寺の家は、当時にしてはモダンな家で窓が沢山あった。
二階の西側の窓から、富士山がはっきりと見えて、子供ながらに毎日楽しみに眺めたものだ。
東側の窓の外にはバルコニーがあり、井の頭公園の花火大会にはお客様を呼んだ愉しい思い出が蘇る。北の窓からの眺めなど今でも絵に描けるほど鮮明に目の浮かぶ。
南は前面ガラス戸だったので一枚の絵のように思い出すことが出来、懐かしい。
南に位置したお稲荷さんの小さな山にはフクロウがいて、鳴き声を聞いている。
其のお稲荷さんの山の場所は現在の武蔵野税務署。
結婚するまで住んでいた吉祥寺は私の心の故郷で、いつか思い出を文に記録したいと考えている。
マンションに引っ越して、ベランダから富士山が見えた感動が、吉祥寺からの富士山とつながり吉祥寺が心の中に鎮座してしまった。
東京に近い千葉県から富士山までどのくらいの距離があるのか?
小さなデジカメで、手持ちで撮ったスナップ写真、ぼやけているけど記録としてアップした。

早春の候となりました。

2006-03-13 17:00:32 | Weblog
春光のうららかな季節となり、4ヶ月以上も休んでいたブログを開きました。
主人の骨折などがあって、昨年の末にマンションに転居し、落ち着かない日々を送っていました。
生まれて初めてのマンション暮らしに戸惑いがありましたが、私たち夫婦の現状には、誠に好適であることが分かり、本当に良かったと思っています。
海に近いことと、天候によって富士山をベランダから拝めることがことが私にとって何より嬉しいことです。
昨日、昨年まで住んでいた家に行ってみたらピンクの椿が沢山咲いて、暖かく私たちを迎えてくれました。
もう3月も中旬となり、これからは花の季節、あちこちに花を尋ねて楽しみたいと思っています。
(ブログの書き方、写真の入れ方を忘れてしまい、心配しながらの投稿です。)