コロナかの毎日は記事と写真の整理の日々です。
1983年の懐かしく可愛い写真をアップします。
1983年動物の名カメラマンの増田勝正氏の依頼を受け
近くのH様宅の子犬を紹介しました。
母犬は我が家のチェリィと同胎犬の雪ちゃん
父はアメリカCHのシーザです。
5頭並べての撮影は大変で次々に飛び降りてしまい
元に戻すので5頭が並ぶのは容易ではありませんでした。
皆幸せな一生を送り私たちも生涯楽しませてもらいました。
コロナかの毎日は記事と写真の整理の日々です。
1983年の懐かしく可愛い写真をアップします。
1983年動物の名カメラマンの増田勝正氏の依頼を受け
近くのH様宅の子犬を紹介しました。
母犬は我が家のチェリィと同胎犬の雪ちゃん
父はアメリカCHのシーザです。
5頭並べての撮影は大変で次々に飛び降りてしまい
元に戻すので5頭が並ぶのは容易ではありませんでした。
皆幸せな一生を送り私たちも生涯楽しませてもらいました。
戦艦山城
山城は1917年3月竣工され、1944年レイテ沖海戦で米軍隊の攻撃を受け沈没。
全長 212.8メートル 全幅33メートル 34700t
82年前の山城の艦上の私たちの写真から、戦艦の運命を考えてしまいました。
レイテ沖海戦では、
。戦艦3隻、航空母艦4隻,一等巡洋艦6隻、二等巡洋艦4隻、一等駆逐艦11隻
潜水艦3隻などを喪失、帝国海軍の艦隊は戦争を続ける戦力を喪失しました。
子供の頃には日本が勝利したニュースばかり聞かされていました。
今になって調べるほどに真相がわかり、愕然としています。
1939年 横須賀軍港の軍艦 「山城」の艦上で
2013年8月13日に書いたブログ「戦艦長門に乗った思い出]を見てくださった
ジョリィさんから、5月13日に「長門ではありません」とコメントを頂きました。
内容は主砲の砲身が短く,口径のサイズの違い、男の先生の後ろの後部に写る
メッシュの構造物はヤマシロのみの特徴ですと。
10歳の時から長門だと思いこんでいたのは大間違いでした。
遠足で行った横須賀軍港の、山城という立派な戦艦でした。
有難うございました.
ノイシュバンシュタイン城
1973年にこのお城を観光した時の感動が今も忘れられません。
週刊現代の「回想を楽しむ力」を読んでから
私はコロナ禍の毎日が回想の日々となってしまいました。
長い人世は沢山の色で紡がれ,忘れられない思い出ばかりです。
特に戦中、戦後に少女時代を過ごした私たちの年代の人には
書き残したいほどの記憶がぎっしりと頭の中に鎮座しているはずです。
しかし高齢者は健康でも体力気力が衰えて書くのも面倒になります。
1973年に妹家族がパリに、弟家族がドイツに赴任していたので
会いに行くにのにあわせヨーロッパ8か国20日間の旅行をしました。
人生初めての外国旅行を回想し昨日はしばし楽しみました。