つれづれ日記

心と目の記録

今日は像のはな子の命日です

2019-05-26 11:12:45 | Weblog






先日井の頭公園に行ってから
頭の中は毎日井の頭の思い出が浮かんで消えません。

私は小学生のころ,近くの井の頭の動物園に行き、動物たちに餌をあげるのが楽しい子供でした。

今日5月26日は像のはな子の命日です。

1949年にタイと日本の友好のシンボルとして来日しはな子と命名されました。

1954年に上野動物園から井の頭自然文化園に移動し

2016年5月26日に69歳で永眠しました。

私は1960年代から子供たちを連れて井の頭自然文化園に行き

像のはな子に手を出して手にお鼻をつけてもらいました。

1956年早朝、はな子は像舎に侵入した男性を死亡させ、

4年後には飼育員を踏み殺す事故を起こしたため

殺人像の烙印をおされました。

鎖につながれてしまい、来客から石を投げられたりし、ストレスで痩せ細りました。

事故の2か月後に赴任した飼育係の山川晴蔵さんは

人間不信に陥ったはな子の4本の足の鎖を外し、

運動場に出し、俺が居なければいけないのだとお世話をし

退職までの30年はな子に寄り添い、後を継いだ息子の広治さんと

親子二代にわたる暖かな交流で幸せな生涯を送り

はな子は大往生したのです。

9月3日にお別れ会が開かれ、2800人が訪れ献花しました。

はな子と山川さん親子との心の交流は書籍となりドラマ化もされました。

「父の愛した像のはな子」山川広治 署 です。 




兄弟姉妹4人の集まり

2019-05-15 11:27:54 | Weblog
井の頭公園の池 2019年5月13日



一昨日
4人の兄弟姉妹は

故郷に当たる吉祥寺に集まり,

レストランでお食事をし、井の頭公園を散策しました。

公園に近い我が家には昼も夜も動物園の動物たちの声が聞こえました。。

満80歳から90歳の4人兄弟は健康に恵まれ,人生の思い出話に花が咲きました。

私は渋谷生まれですが、3歳から吉祥寺で育ち、妹と弟たちの生まれ故郷です。

井の頭恩賜公園は、1917年開園されました。

池に建つ「井の頭弁財天」は平安時代中期に建てられ、後に焼失し

徳川家光によって再建されました。

    下の写真の赤い建物が井の頭弁財天



井の頭の湧き水はお茶の水と言われ、子供の頃によく飲みましたが、今は飲めない状況です。

家康が自らの手で水を汲み、関東随一の名水とほめて

お茶を入れて使ったといわれます。

久しぶりに井の頭公園の空気を吸い,こどもの頃の思い出は限りなく、脳裏に広がります。

夏休みに毎日通ったプールは今はなく、

木々は生い茂り昔の面影はありませんが、私の人生の原点は吉祥寺そして井の頭公園なのです。

ノートルダム寺院の火災でバラ窓が

2019-05-01 09:52:14 | Weblog
ノートルダム大聖堂



ステンドグラスのバラ窓


去る4月15日、パリのセーヌ河岸のシティ島にそびえる

ノートルダム大聖堂は火災により尖塔が崩壊し、

世界中に衝撃を与えました。

寺院内にあった重要文化財は救急隊員や教会関係者によって運び出され多くが無事で

十三世紀に造られた三か所のバラ窓は生き残りました。

8000本ものパイプからなる巨大なオルガンも奇跡的に損傷がなかったそうです。




出火原因はまだ明らかになっていないのです。