ポールさんにお泊りいただく座敷に、陶器のピレニーズを置いて
ちょっと驚かせました。
1981年NHKより1年間放映されたアニメ、
「名犬ジョリー」は一躍人気を博し
この犬種「グレート・ピレニーズ」の専門書を書くよう
誠文堂新光社より依頼を受けました。
アメリカのピレニーズの第一人者ポール・ストラング氏に
手紙を書きご教示を仰いだご縁で、私達のクラブの総会に
ご招待し、講演会を開きました。
西は京都、名古屋、飼育者の犬舎訪問と観光で
10日間、私は大変でしたが、家族の協力もあり頑張りました。
庭で9歳のベルとポールさん
ストラング氏の著書
1945年の日記帳を見て、東京大空襲や
原爆のむごさを改めて痛感し
気分が重くなり、日記帳を束ねて押入れにしまい込みました。
でも脳裏には、3月10日の東京大空襲で焼け出され、
ぼろを纏って、裸足同然の姿で故郷へ帰るらしいの人たちを
疎開した川越で見ました。東京から歩いてきたのでしよう。
7月に父の故郷の広島県の山村に疎開しました。
40kmも離れているのに原爆の光が射し、ぐらっと揺れたので外に飛び出したことが日記に書かれています。
つくずく運命について考えました。
2023年 1月22日 16時39分
真っ赤な夕陽に雲がかかっていましたが
素敵な色の西の空でした。
1944年の暮れに、県立川越高女に転校、
勤労動員は学校で軍服を縫う作業をしていました。
朝、登校で道を歩いていた時、アメリカの戦闘機が一機
低空飛行で目の前に飛んできて、操縦士の顔が見えました。
とっさに地べたに伏せ、少しして顔をあげると
戦闘機は、もういませんでした。
機銃操射はされず助かりました。
米兵は15歳の女の子をからかってみたのでしょう。
10年前ですが、米兵の民間への機銃掃射で、追い回された人たちの
21箇の体験談がツイッタでのせられたのを見ました。
実際に撃たれて亡くなった人がいたのです。
人生の中で、私が死の恐怖を覚えたのは、この時だけです。
1944年12月、東京都内が空襲され、東京武蔵野市の吉祥寺の家から
埼玉県の川越に疎開しました。
県立川越高女に転校、学生の勤労動員では
満蒙の兵隊さんの軍服を縫っていました。
厚地のラシャの布地で各部分を担当し
私は衿でしたが布地が厚く衿先など縫うのに
ミシンの針が折れてしまいまます。
折れた針を先生に差出し新しい針を受け取ることは重荷な事でした。
又、1日に何枚縫ったか各人の枚数を壁に張りだすので
通信簿の点数に関係することから
昼食もしないで縫う勝気な生徒もいました。
飛行機工場で労働する方が精神的によほど楽でした。
当時ミシンの針はめったに売っていなかったのです。
1944年、女学校三年生の7月、15歳の私たちは
学徒動員をされ、昭和飛行機工場で働きました。
私は倉庫係に配属され、鉄の棒や鉄管を
受注伝票を見て,切り出しリヤカーに載せて
注文された職場に運びました。
空襲警報が出ると防空壕に退避しましたが
立川に近いこの辺は敵機は来ず
壕から出て東京都内の空を見ました。
米機が一機二機と東京に飛来すると
友軍機【日本機】が体当たりして
墜落するのを何度も見ました。
昨日1941年からの16冊の日記帳を出して読んだので
戦時中の重い雰囲気の文になってしまいました。
長い人世を振り返り、作ってある年表を改めてじっくり見ました。
2002年に近くにパソコン教室ができ9月に入会し、11月にパソコンを入手、
した。
パソコンは触ったこともない機器でしたから お教室で必死に習い
ました. 小人数で丁寧に教えてくださる先生なので楽しく学べました。
今までに書いたブログと載せた画像は人生の記録として残るでしょう。
40歳でグレート ピレニーズを家族に迎え、我が人生はピレニーズと共に
歩みはじめました。雑誌に記事を書き。単行本が出版され、世界の
優名犬舎を訪問し多くの知識と愉しみを頂きました。
私は
渋谷で生まれ、2歳の忠犬ハチ公をなでた私は
犬との深いご縁のある人間なのでしょう。
昨日今は亡き、K.三菜ちゃんのアルバムを見て
深い思い出に浸りました。
今日も ベランダから きれいな夕陽と富士山が見えました。
23年1月10日 16時25分 夕陽
夕陽の右に夕陽をバックに富士山がそびえています。 17時02分
超高齢者になると、年賀のやり取りが減ります。
視力、気力が衰えて書くのに時間がかかり
情けないことと今年はしみじみと思いました。
筆を使うのは好きなのですが、
宛名の住所を間違えないように気を使っても
失敗したり曲がってしまい、情けないことです。
昭和4年にまれ、長い人世を生きてきてきました。
眼が見えるから、大自然の美しさに感動できるので
有難いと思っています。
今日は七日、娘の作った七草がゆを頂き、
健康で心豊かに1年を過ごせるよう祈りました。
人生90年を過ぎると、明日のこともわかりません。
過去の思い出が次次と脳裏に浮かびます。
戦時中の空襲や、戦後の日本の不安定な日々を
よくぞ生き抜いてきたと不思議な運命について考えます。
現在の国民の生活、また近所のノラ猫さんたちと
お話ができる事、なんて幸せな世の中でしょう。
新年おめでとうございます。
今年も何卒よろしくお願い申しあげます
超高齢者の新年は格別なもので
神仏に深くお祈りをいたしました。
ベランダから日の出を仰ぎ 心新たに出発です。
夕方の富士山もきれいでした。
1月元旦の日の出 6時46分
夕方、西の空は富士山がそびえ、幽玄な美しさ
今年も、どうぞ宜しくと富士山にお願いしました。
1月元旦 16時39分 千葉県の7階のベランダから
海を越えての富士山が見える幸せに感謝、感謝の私です。