人形師ホリ・ヒロシ(1958年生)
舞台衣装を含めた着物デザイナーであり
日本舞踊、吾妻流宗家直門の名取りです。
ホリ・ヒロシの人形展を日本橋のデパートで見たのはもう20年以上くらい前のことです。
彼がずいぶん若く、、会場の人形のすごさに、ただただ圧倒された記憶があります。
1981年に「白蛇幻想」で自作の等身大の人形を操りながら、
自らも舞う一人文楽「人形舞」に挑戦,1990年のニューヨーク公演を皮切りに
海外公演も多数、東京都民文化賞を最年少で受賞しました。
古くは、災いや穢れ引き受けてもらう我が身の身代わりとして、あるいは神の霊魂を
乗り移らせて迎える 憑き代 とするため存在だったと言われる人形です。
人形にもいろいろああり、作ってみたいと思いますが、魂の入ったお人形は
怖い気がして家に飾りたいとは思いません。犬や猫のお人形、特に
ピレニーズの縫いぐるみなら最高。枕元にいます。
市松人形とは、着せ替え人形の一種です。
市松人形の名前の由来は、江戸、徳川吉宗の時代に実在した佐野川市松という上方の歌舞伎役者が
江戸中村座で演じた「心中万年草」の女形で人気がありました。非常に美貌で市松に似せて作られた人形が
市松人形の起こりと言われています。
当時は女性だけでなく、お金持ちの大人の男性が着せ替え人形遊びとして楽しんだとも言われています。
裸の状態で売られ、衣装は購入者が作成すると記述にありました。
現在東京にある「市松人形館」のHPを見たら市松人形の着物や小物が売られていて
3万円台から14万7000円の人形の着物が売られています。
軽井沢のお人形屋「久楽」によりました。
京都から軽井沢にオープンした久楽は、お人形好きにはたまらないお店です。
縮緬を中心とした、江戸、明治、大正期の古裂をしたてなおし人形に着せてあります。
軽井沢の雲場池は、私にって忘れられない思い出の池。
今回は行かれなかったので、写真は観光用のをお借りしました。
15年前に軽井沢に行った時に真っ先に案内していただき
あまりに変わった風景に驚きました。
昭和23年に女子大の軽井沢の寮で夏期講習がありました。
当時は食糧事情の悪かった終戦後のためお米を持参、
お菓子は全く売っていないので、自宅でメリケン粉でビスケットを作ったり、
かるめ焼きを作り持参するしかありません。
それでも平和な生活に感謝して、純粋な心で講義などを聴き
軽井沢の澄み切った空気に生命を吹き込まれるような気がしたものです。
雲場の池の前の道以外、池の方には日本人は入ることは禁止され
ホテルや立派な別荘は進駐軍が入っていたのです。
今では池の周辺を散策できるようになり、観光の目玉にもなっているそうです。
私がイーゼルを立てて描いた雲場の池の油絵が未だありますが、
絵の具がはげて色も鈍っています。(カメラで撮ってパソコンに入れてあったので
もしかしたらブログのはじめの頃に載せたかもしれません)
下の油絵は64年前の雲場池ですから、池の周囲の木々は大きくなり
見た目がだいぶん違います。
池の水面に雲がきれいに写っています。
昭和20年に終戦になり、戦時中より食糧難の時代です。
前年の22年に、若い山口判事は、闇米犯を裁く人間が
闇米を食べるわけにはいかないと、飢えて亡くなりました。
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スイミングのお仲間のY様からお誘いお頂き、Y様の別荘にお泊まりして
秋の軽井沢に行ってきました。
1997年と98年に7人のグループで、Y様の別荘に泊まり
夏の軽井沢を楽しみ、ゴルフの練習をしたり、温泉に行ったり観光をしました。
みんな若くて元気でしたが、7人の中の二人は亡くなり、足を骨折した人、体調が心配な人
みんな年をとりました。今回は4人です。
楓などの紅葉の盛りは過ぎていましたが、どうだんツツジの透き通る鮮やかな赤い色と
木々の黄葉を堪能しました。
下の写真はお昼にランチを頂いた万平ホテルのカフェテラスの席から写した物です。
下の写真は万平ホテルの記事からお借りしました。
万平ホテルの操業は1894年で、明治期には東郷平八郎、大正期には室生すい星や堀辰雄、
昭和期には、三島由紀夫やジョン・レノンなど、多くの著名人が宿泊しました。
15年前、軽井沢に来たときに、このホテルの社長の佐藤様ご夫妻は
可哀想な沢山の猫の保護と、少しの犬を保護されていました。
当時千葉県に「潮騒の里」という犬の保護というか収容所があり、(評判は悪かったのです)
東京の人が、置いていったピレニーズのフジ号を見たS様は場違いなところに捨てられたフジ号をひきとり、
ボランティアの仲間のMさまが親しい佐藤様にお願いをして預かっていただきまはした。
よい方が見つかり飼っていただいたのもつかの間、その方の会社が倒産して
また佐藤様が引き取りに行きました。
人間不信になったフジは神経質になり、いろんなことが起きて
私のところに何回もお電話を頂きました。
万平ホテルの経営が少し変わり、佐藤ご夫妻は浅間に越され、
フジ号は別の人にひきとられ、その後どうなったか分かりません。
可哀想な運命のフジ号を思い出すと本当に辛くて胸が痛くなります。
品のある華やかなシンビジウム、部屋の中が明るくなった感じがするのは、
花の持つオーラでしょうか。
しかもほっこりとした暖かさを感じさせてくれます。
早や11月となり、年をとるほど、月日の流れの速さに驚いています。
しなければならないことが終わってホットするのもつかの間です。
ゆっくりとした暇な日がないのは、性分なのでしょう。
冬の普段着のゆったりしたスカートを縫うため、昨日ユザワ屋でジャージの生地と
裏地を買ってきてにこにこしている私です。
一年中、私はスカートの方が楽なのです。
ミシンを出すと縫いたい物が次々と出てきて
和服をほどいて、外出着を縫う予定は、ずいぶん先になりそうです。
実家の母は90歳頃にもミシンを踏んで自分が着やすい服を縫っていました。
縫い物が好きなのは子供の頃から母が縫ってくれた服で育ち
その姿を見ていたからでしょうか。
ミシンをかけているとムシンになれます。
イギリスから発行されているピレニーズのマガジンに、毎年クリスマスのお祝いの広告を出しています。
10月はクラブの総会があったり、ドッグショーがあり忙しく過ごしましたので
締め切りの31に日本のニュースと、クリスマスのお祝いの広告を
メールで送りほっとしたところです。
今年もイギリスとスエーデンからきたピレニーズとイギリス系の三菜ちゃんのお顔を
クリスマス・リースにいれました。
編集長のジョイスさんから、日本の字をいれてほしいと言われていますので
紙に筆で書いた字をスキャナーで取り込み、あとからリースの中に挿入します。
文字列の折り返しで裏面に入れると、字を書いた紙はリースの後ろになるので
文字だけきれいに入ります。
プリントをして、上と下に入れたクラブ名と名前の字を省いて、マイピクチャに入れて載せました。