久しぶりに昭和22年の古い日記を出して読みました。
昭和20年に終戦を迎え、疎開先の広島県から東京の自宅に戻れたものの
敗戦後の東京の状況は悲惨なものでした。
電力供給が不足して、計画停電が行われました。
21年の9月に電球と蝋燭の配給があり、
11月には家庭への昼間の送電一時停止など電力制限を強化したのです。
22年2月には女子大への入学試験を控えて勉強をするのに
停電の時には机の上に配給された魚油のランプをつけ、
妹、弟も一緒に12時まで勉強をして寝ました。
戦後の東京では 駅のホームでもく拾い(煙草の吸殻)をする
7歳以下の子供たちがいたのです。
魚油のランプでも勉強できるのは贅沢な時代でした。
北海道ではローソク送電と停電ばかりでした。
昭和8年生まれの私よりお姉さまでいらっしゃいますね。
いろいろ経験され日記も残っている、尊敬します。
有難うございました。