つれづれ日記

心と目の記録

ピレニーズのアニメ 名犬ジョリイ

2019-06-29 10:49:36 | Weblog


 原作は セシル・オウブリ著「ベルとセバスチャン」

 日本で翻訳され 「アルプスの犬と少年」が発行されたのは

 1974年のことです。

 ピレニーズは当時希少犬だったの、飼育している人がいると聞けば

 すぐ連絡して親しいお付き合いをし情報交換をしました。

 アリ君を飼われているS様にこの本を差し上げました。

 映画のプロデューサーのご主人は日本での映画化を考えましたが

 演技できるピレニーズはいなく親しいk氏とアニメにすることを考え

 フランスの作者に会いに行き、権利を得てアリ君をモデルにして

 アニメの制作が始まりした。

 1975年に私費出版したピレニーズの専門藷を30冊以上差し上げて、スタッフにこの犬種を

 深く理解して製作していただこうと協力しました。

 1981年から1年余、NHKから放映されたアニメーション「名犬ジョリイ」は

 世界の何カ国からも放映され人気を得たのです。

 

 このことは10年前のブログに書きましたがふと思い出したので書きました。

 

 
 

ピレニーズのレオ君の命日

2019-06-15 10:23:12 | Weblog
6月12日は
1972年に我が家で生まれたレオ君が、6歳4か月で、天に召された日でした。

W.G.CH アドニス オブ ハウスハヤシダ 



上は2歳6か月の時の写真です。犬の学者 大野淳一先生撮影

 体高85㎝の四肢のしっかりした、背腺のきれいな超大型犬でした。

生後5か月から訓練士さんが来てくれ運動と訓練、

夜は私との4キロ以上のの散歩、うっとりするような楽しい幸せな時間でした。

雑誌の撮影で賑やか浅草のお祭りの中を歩いたり、

品川のプリンスホテルで外人の男性のモデルさんと撮影

男子服のポスターになりデパートに展示され、

私はレオを車に乗せてどこにでも撮影に行くステージママでした。

楽しい思い出が次々に浮かんできます。


1970年に初めてピレニーズの雌ロミを飼い、

アメリカから輸入されたAmChマックと交配し

生まれた7頭のなかのたった1頭の牡を家に残したのがレオ君です。



亡くなった前日の夜10時ころ腹部が膨らみはじめ、犬舎の中に布団を持ち込み

一緒に寝て見守り、朝9時に獣医院に駆け込みましたが胃捻転で亡くなりました。

庭の築山のくちなしの木に白い花が咲いていて

その木の横に大きな穴を掘り埋葬しました。


6歳4か月の短い犬生でしたが、ドッグショーで活躍し

当時の犬関係の本のピレニーズの写真はどれもレオ君の写真でした。

最愛の息子レオ君の死は悲しみを超えて計りしれない思いに陥りましたが

レオ君を育て上げたたことから雑誌の記事を依頼されたり

ピレニーズの専門書の執筆。そして愛好会のクラブを結成などの

予想もしなかった生活が始まりました。



井の頭弁財天の歴史

2019-06-08 10:17:18 | Weblog
 井の頭弁財天  歌川広重の木版画

 

 源氏の祖である源経基(917~961) が仏教大師の作である 

 弁財天女像をこの池に安置したのが始まりで、その後

 源頼朝(1147~1199)がお堂を建立したと伝えられています。

 その後鎌倉時代に一時は焼失してしまいましたが

 江戸時代になりこの地を鷹狩りの場として使っていた

 三代将軍徳川家光が、弁財天の宮社を再建しました。

 「井の頭」の地名は、池の水は江戸の飲料水の源であることから

 家光が命名されたそうです。

 弁天堂は大正12年(1923)に関東大震災の被害を受けましたが

 昭和初期に再建されました。

井の頭の池の袂で父が写した私たち兄弟3人の2枚の写真は

 80年くらい前のものですが、載せられないのが残念です。

 

 

井の頭弁財天

2019-06-06 11:17:16 | Weblog
井の頭弁天財 入口 5月13日撮影



赤い堂舎が緑に映えてひときわ美しい井の頭弁財天


平安時代中期に創建したものと伝えられます。

井の頭弁天の歌川広重の木版画を見つけました。



 名所 雪月花 井の頭の池 雪の景 (1856-1858)