イギリスのウォルター.ハッチンソンのドッグ エンサイクロペディア(1934~1935)にピレニーズ(イギリスではピレニアンマウンテンドッグ)の記事と写真が17ペーじにわたって書かれています。
この本を入手するのは困難でしたが、オーストラリアのラニーさんが、ピレニーズの出ているページをコピーして送ってくださいました。
ピレニアン好きの日本人に頼まないのに、わざわざコピーをして送って下さったのは、ピレネー犬に異常な情熱を持つ私に、すこしでも喜びと見識を与えて下さろうと思われてのことだと感謝しました。ラニーさんは世界中の愛好家と手をつなぎ、ピレネーの研究と繁栄を願っていたからだと思いました。
1984年に出版された、拙著 素晴らしきピレニアンは、ポルトガルやアメリカの人達からも手紙が来て交流が始まりました。
ピレニーズの神様と云われたポール・ストラング氏が多分みんなに知らせて下さったのでしょう。
人間の出会い、運命は人生の流れを変えます。
ピレネーに魅せられた私が、本を書くにあたって、ポールさんに手紙をだし、1983年に来日されて、日本のピレニーズを理解し、私たちの気持ちが伝わったからこそ外国の愛好家たちに伝えてくれたからと今になって思います。
40年間もピレニーズを追いかける私は、いささかオカシイ人間かも。
オーストラリアのラニー ヴァン エックさん
(1925年8月11日~2003年1月30日)のコレクションです。
Wクリックすると大きく見えて楽しめます。
今までの3枚のピレニーズの古い絵のコピーは、オーストラリアのラニーさんから同志としての絆で頂いたものです。
当時日本では手に入らないピレニーズのグッズ、ブレスレッドや小物を幾つも頂きました。
ラニーさんは夫のエディーさんとともに、オーストラリアのピレネー犬の育成と紹介に30年に携わって、献身的な愛と賛美を捧げたオーストラリアの第一人者でした。
1984年にピレニアンの拙著が出版されるとすぐに手紙を頂き、本をプレゼントしてからのお付き合いで、1986年のイギリスのクラブ50周年の大会でお目にかかり、次は
2000年にオーストラリアで開かれた第二回世界大会でお会いしました。
ピレニーズを歴史的にも追及する熱心なラニーさんは、世界中の愛好家とのつながりをもち、高く評価されていました。
秘蔵のピレニーズのコレクションは世界一の規模と云われ、2003年に建設中だったケイナイン・ミュウジアムに展示され、愛犬家の人達がみられるようになると記事で読みました。日本では考えられないことです。
6月13日に頂いたグラマトフィラム
緑の滝のような風情で眼を愉しませてくれたグラマトフィラムが遂に花が終わりました。それぞれの花の命は寿命が違いますが、終わりに近ずくと少しでも生かせたい思いと、見苦しい姿になるなら潔く散ってほしいと云う思いがするのは、年のせいでしょうか。