朝ベランダに出て、地上にノラの猫がいるか、富士山が見えるのを
楽しみにしていたのに、富士は全く見えず、
ネコさんもたまにしか見られません。
可愛い三毛さんは4月以降どこにも見えず、空しい思いです。
マンションの出口の椅子に三毛さんが座って待っていてくれた頃は
なんて幸せだったのでしょう。
多分お空の世界に行ってしまったのだと思います。
写真は今年の1月に三毛さんを抱っこして
娘に撮って貰いました。
朝ベランダに出て、地上にノラの猫がいるか、富士山が見えるのを
楽しみにしていたのに、富士は全く見えず、
ネコさんもたまにしか見られません。
可愛い三毛さんは4月以降どこにも見えず、空しい思いです。
マンションの出口の椅子に三毛さんが座って待っていてくれた頃は
なんて幸せだったのでしょう。
多分お空の世界に行ってしまったのだと思います。
写真は今年の1月に三毛さんを抱っこして
娘に撮って貰いました。
1942年からの日記帳を整理していたら、もう忘れていたことがいろいろと書いてありました。
戦後昭和史の1946年1月1日には、天皇人間宣言、
1月4日は、GHQ,軍国主義者の公職追放、(当時を思い出しました)
1947年1月1日には、新聞記事の見出しの横書きが左書きになる。
1月20日学校給食実施、アメリカからの脱脂粉乳が提供される。
1月31日の夜、応接間の窓から泥棒が入り、応接間裏のコート掛けの
父と私のオーバー計3枚、茶の間にあった父のカバン、
ウォルサムの腕時計、大理石の置き時計、玄関の革靴3足、盗まれました。
茶の間の隣の8畳に私は寝ていたのです。
応接間の窓の下に、踏み台にしたリンゴの空き箱があり大きな靴跡が残っていました。
写真は応接間の東側でカーテンの右の出窓、植木鉢のある場所から泥棒が入りました。窓のカギをかけ忘れていたのでしょうか。
コロナ禍や世情の変化の中で、JKCのドッグショーがどのように
開催されているのか今の私にはよく分かりません。
先の見えない毎日で思い出ばかりを楽しむ毎日です。
私がピレニーズをドッグショーに出した1970から10年余です。
その後、英、米、オーストラリアなどの会員になり友人ができ
ショーを観戦する幸運に恵まれました。
今ではパソコンで見られる範囲が広がり有難いことです。
ぼけて居ますが、下は2004年のJKCh本部展で撮った写真です。
1945年8月15日大東亜戦争が終結、16歳になったばかりの私は
9月には疎開先の広島から東京の家に戻りました。
翌年4月に5年生になり、学校の部活ができ
写真部ができたので早速入会、父のカメラを使い撮影、
現像、焼き付けなどしました。
父の2台のカメラのどれを使ったのか覚えていませんが
多分,下のデアドルフだと思うのですが。
父のカメラについて、弟からのメールでの説明によると
リンホフは、ドイツのカメラメーカーで、
世界で初めて組み立て式フィールド用大判カメラを製造した
パイオニアであり、スタジオ用大判カメラを製造している
ジナーと並ぶ世界最高峰の大判カメラメーカーです。
乾板でなく大判のフイルムが一枚づつ黒い袋に収まり、
写真を撮って袋の端を引っ張ると後ろに回って
次のフイルムが現れるという,凝った造りでした。
私が子供の頃、父のカメラは,床の間の脇の、床脇の天袋の中に置いてあり
子供たちが触ってはいけない物になっていました。
父は時折取り出して撫でまわし「ドイツはすごい」という話をしていました。
父のカメラの趣味は私たちの生まれる前からです。
リンホフ
私が父の荷物持ちで撮影会に行ったのは
10歳の頃で、モデルは田中絹代さんでした。
場所などは覚えていませんが、撮影者は10人くらいで
室内の撮影でした。
子供の頃、私達兄弟を父が撮影するときには
動いてはいけないとジッとしていた姿を思い出します。
先日育った家の床の間の写真を入れて書いたブログを見て
ジョリィさんから有難いコメントを頂きました。
昭和8年5月、弟が生まれた時父が書いた掛け軸の格言についてです。
「慈悲寛大自己反省」は
法学者で歴史学者の広池千九郎(ちくろう)1866-1938
の格言ですと教えてくださいました。
この書の意味を理解しようとも思わず人生を過ごしてきたことを
反省しました。
これからいろいろ調べてみます。ジョリィ様有難うございました。
私は4人兄弟の長女で下の弟は昨年亡くなりましたが
昭和7年生まれの妹と、昭和8年生まれの弟は元気です。
先日、育った家の床の間の写真が出てきたので二人にメールで送りました。
妹から、子供の頃、天袋に赤い表紙の分厚い「家庭の医学」が入っていて
踏み台に乗り、こっそり取り、写真や絵を見て急いで元に戻しましたと
当時秘密にしていたとメールがありました。
床の間の掛け軸は父が弟が生まれたときに書いた 慈悲寛大自己反省です。
この中の一字が名前になっています。
床の間の真ん中には、母の活けたオモトの葉を組み合わせた活花、
古流(桑原専慶流)が置いてありますとメールを受けました。
一枚の写真から、過去の思い出が鮮やかに浮かんできました。