ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン (1670-1736)
(1686年) 16歳のメーヌ公です。
メーヌ公は体が弱く、肢に障害がありバレージュの温泉に保養に来てピレネー犬と出会い
連れ帰ったおかげで、ルーブル宮とベルサイユ宮殿の貴族たちの称賛の的になり
一躍有名になりました。ピレニーズ ファンにとって忘れられない王子様です。
ルイ14世はお気に入りの息子であり、庶子でありながら王位継承者の一人に選ばれました。
しかしその後の政争に敗れ失脚したのです。
ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン (1670-1736)
(1686年) 16歳のメーヌ公です。
メーヌ公は体が弱く、肢に障害がありバレージュの温泉に保養に来てピレネー犬と出会い
連れ帰ったおかげで、ルーブル宮とベルサイユ宮殿の貴族たちの称賛の的になり
一躍有名になりました。ピレニーズ ファンにとって忘れられない王子様です。
ルイ14世はお気に入りの息子であり、庶子でありながら王位継承者の一人に選ばれました。
しかしその後の政争に敗れ失脚したのです。
このカードは32年前にポルトガルのピレニーズの友人、アナ ヒロメラさんから頂いたものです。
ルイ14世の王太子とピレニーズです。
ルイ14世の5歳の王太子は養育係りのマントノン公爵夫人に連れられてピレネーのバレージュに保養に行った時、1頭のピレニーズに出会い、夢中になり連れて帰りました。
ルイ14世は1675年に、この美しい山の犬を宮廷の犬に指名し、貴族達は競ってこの犬を探し求めたということです。
この王太子が後にルイ15世になったのかと疑問に思いルイ王朝時代の歴史を調べました。
ルイ14世は王妃との間に6人の子が生まれましたが王太子グラン・ドーファン以外は夭折、
愛妾のラ・ブァリエール侯爵夫人との間に5人の子が生まれ3人は夭折、
愛妾モンテスパン夫人の間に7人の子が生まれ二人は夭折しました。
ピレネーの山からピレニーズを連れて帰った王大子は、ルイ十四世とモンテスパン夫人の
長男として1670年3月31日生まれたルイ・オーギュスト・ド・ブルボン(メーヌ公)でした。
メーヌ公は波乱に満ちた生涯を送り王座に就くことなく1736年に亡くなりました。
カードの絵は幼少のルイ15世(ルイ14世の曾孫)の絵で、カードを作った人はメーヌ公と間違えたのでしょう。
ルイ15世 イアサンド・リゴー画 1715年
ルイ十五世(1710-1774)は趣味の狩猟に興じる日々を送り
馬や犬の調教に熱心で労を厭わないと評されるほどだったのです。
ルイ十五世の宮廷画家に任命されていたジャン・パティスト・オードリーの
1746年に描いた「狼の狩猟」の絵はピレニーズの不朽の名作です。
1745年にベルサイユの近くで突然行われた
狩りの一場面を描いたこの絵は、現在ロワレ県のジヤン城内の
国際狩猟博物館で鑑賞できるそうです。
ピレネー犬の起源について、思いを馳せるパスカル・ガゾーツの本
先日来、ピレネー犬の肢について調べていた私は、久しぶりにこの本を開きnました。
ピレネー犬のカラフルな歴史について改めてじっくりと考え
起源前からの歴史的考察を勉強したいと興味深々です。
ピレニーズはフランスとイギリス、アメリカの3つのタイプに分かれている現在です。
もう20年以上前に、フランスの前会長のマンセンカル氏の記事に
ピレネー犬の肢が多少曲がっていても、
「本来のピレネー犬の優雅な雰囲気を持っているピレのほうが良い犬です。」と
書いてありました。
アメリカではグレート ピレニーズとして全犬種として闘える理想の姿に改良され
見事な姿になりました。
私はそれぞれのタイプの良さを受け入れていますが
改良や遺伝について考えることが多く興味でもあります。
レ パトウの本は犬種のガイドブックと違い
著者のピレネー犬への思いが心地よく胸に伝わってきます。