軽井沢の油絵をバックにピレニーズの置物
先の見えないコロナ禍の日々は、過去の回想にふけってしまいます。
90年余の人生の中で1945年の、戦前戦後を過ごした15歳ころの記憶は
一生消えることはないでしょう。
15歳の女学生が、昭和飛行機工場で飛行機を造り、特攻隊にも使われました。
2000トンプレスを動かす工員さんがプレスに挟まっての事故や
勤労動員の中学生が機械で手を切り落とされ大騒ぎをしたことが思い出されます。
郊外の吉祥寺に住んでいて、1945年に川越に疎開し
東京の大空襲の真っ赤な空を見たことを前に書きました。
7月には父の故郷、広島県の山村に疎開し
原子爆弾の光を見、ぐらっと揺れた体験、
しかしこの年まで生きているのですから、誠に幸運だったとしみじみ思います。
画像は、1948年8月に軽井沢での女子大の夏期講習に参加した時
雲場の池で描いた油絵をバックにして
彫刻家の深谷直之氏作、石膏のピレニーズを置きました。
ご愛犬の可愛いピレニーズがモデルです。
もう手に入らないコレクションをとてもうらやましく思います
お写真で拝見させていただけるのが楽しみです