大東亜戦争が激しくなった1945年7月20日に
私の家族は、父の故郷の広島県の中央部の山村に、疎開しました。
8月6日朝食が終わった頃、ピカッと光り
台地が大きくぐらっと揺れ、思わず庭に飛び出しました。
光は家の中まで入り私の腕にも光が当たった記憶があります。
新爆弾が落ち、広島市は一面の焼け野原とニュースで聞きましたが
本当のことは分かりませんでした。
広島市の女学校に転校する予定でしたが、夏休みなので助かりました。
想像を絶する被爆の実相が分かった時には呆然となるばかりで
終戦となり、9月に東京の吉祥寺の家に帰りました。
東京駅のホームは爆弾や焼夷弾にやられて屋根がなく、
トイレの屋根もありませんでした。
しかしとても綺麗に掃除されていて感心しました。
中央線の代々木あたりまで焼け野原が多く、
所どころに手作りの小さな小屋が建っていました。
今元気で生きている運命に感謝するばかりです。