つれづれ日記

心と目の記録

わが家のベルの思い出

2021-09-29 12:02:43 | Weblog

伊勢丹の広告にベルが登場しました。

 

レオ君はデパートの紳士服の広告に使われましたが

私が一緒に記念に撮った画像しか残ってないのでアップできず残念です。

 

この伊勢丹のベルが参加の広告は、1976年に原宿のスタジオで撮影されました。

シーソーに手を置いているので、離したら子供が落ちてしまいますから

はらはらしましたが、「ベルちゃん!そのまま動かないで、我慢 我慢」と

私は必死に声をかけました。

話は人間と同じようになんでも理解するのですが

カメラマンは心配されていたことでしょう。

当時レオ君とベルはよくモデルに使われ

私はまるでステージママのようでした。

娘たちにピレの方が大事なんでしょうと言われるほど

ピレニーズに夢中のわたしでした。

 


石膏のピレニーズ

2021-09-19 10:08:21 | Weblog

軽井沢の油絵をバックにピレニーズの置物

先の見えないコロナ禍の日々は、過去の回想にふけってしまいます。

90年余の人生の中で1945年の、戦前戦後を過ごした15歳ころの記憶は

一生消えることはないでしょう。

15歳の女学生が、昭和飛行機工場で飛行機を造り、特攻隊にも使われました。

2000トンプレスを動かす工員さんがプレスに挟まっての事故や

勤労動員の中学生が機械で手を切り落とされ大騒ぎをしたことが思い出されます。

 

郊外の吉祥寺に住んでいて、1945年に川越に疎開し

東京の大空襲の真っ赤な空を見たことを前に書きました。

7月には父の故郷、広島県の山村に疎開し

原子爆弾の光を見、ぐらっと揺れた体験、

しかしこの年まで生きているのですから、誠に幸運だったとしみじみ思います。

 

画像は、1948年8月に軽井沢での女子大の夏期講習に参加した時

雲場の池で描いた油絵をバックにして

彫刻家の深谷直之氏作、石膏のピレニーズを置きました。

ご愛犬の可愛いピレニーズがモデルです。


ピレニーズのベルと、セバスチャン

2021-09-11 10:26:52 | Weblog

 

ベルとセバスチャンは

第二次世界大戦中、ナチス占領下のフランスのユダヤ人家族を救うため

冬のアルプス越えに挑む、孤児セバスチャンと野犬のベルの絆に心洗われる感動物語です。

「アルプスの山の犬と少年」という題名で

前田和子氏とM=T=サンジェの共訳で

1974年1月に学習研究社より出版されました。

その年の3月17日にわが家のピレニーズのロミが、AM.CHマックとの

6頭の子犬を出産、ちょうどその日に娘がデパートの書籍売り場でこの本を見つけて買ってきたのです。

  

    6頭の子犬の血統書の名前の頭には皆 ベルをつけ

  わが家に残したベルは家族として13歳以上の沢山の思い出を残してくれたのです。

 

 

 

 

 

 

 


ピレニーズの物語

2021-09-08 11:29:02 | Weblog

名犬ジョリーの原作の本「ベルとセバスチャン」をフランスに注文したのは

1770年の終わりの頃だったと思います。

 

私の人生の年記録には、1979年にフランスの「ベルとセバスチャン」の

映画のアニメを東宝が制作を開始、副社長金子氏よりお宅に呼ばれ

ピレ二アンという犬種についての協力を頼まれました。

制作のスタッフが何度も来宅され、わが家のベルとチェリ―を見たり

話をして、私の集めた資料を提供しました。

絵のモデルは映画のプロデュ―サーのS様のご愛犬アリ君です。