7Fのベランダで咲くクレマチス
1945年7月20日に東京から広島県に疎開した私は
8月に原爆の光を見、15日に終戦を迎えました。
現在の東広島市の最北に当たる当時のS郡に生まれた父の故郷で
親戚のお世話に感謝しながらも終戦をむかえたら東京に帰りたい一心でした。
9月17日に枕崎台風が広島県に上陸し甚大な被害が出ました。
原爆にあった市民を治療していた大野陸軍病院を土石流が直撃し180名死亡し
県全体では死亡幾重不明者2000人を超えました。
原爆投下から1か月ということもあり、通信網や報道機関の機能は復旧しておらず
台風の接近を市民は知らなかったそうです。
私のいた地域は何もなかったのですが。9月23日に東京に向けて帰るとき
山陽本線は本郷より西は崖崩れなどで不通になり乗車駅の河内駅は不通ですから
家から本郷駅まで8里(32キロ)の道を川伝いに歩いたのです。
今回の水害で、忘れられない記憶が鮮やかに蘇えりました。