つれづれ日記

心と目の記録

82年前の記憶

2021-05-17 11:11:13 | Weblog

1939年 横須賀軍港の軍艦  「山城」の艦上で 

2013年8月13日に書いたブログ「戦艦長門に乗った思い出]を見てくださった

ジョリィさんから、5月13日に「長門ではありません」とコメントを頂きました。

内容は主砲の砲身が短く,口径のサイズの違い、男の先生の後ろの後部に写る

メッシュの構造物はヤマシロのみの特徴ですと。

10歳の時から長門だと思いこんでいたのは大間違いでした。

遠足で行った横須賀軍港の、山城という立派な戦艦でした。

有難うございました.  

 

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ジョリイ)
2021-05-17 22:05:28
どういたしまして。
長門の最後は原爆の標的艦として悲しいものでしたがその時人は誰も乗艦していませんでした。かたや山城は、レイテ沖海戦で沈没し、最終的には約1500名の乗組員のほとんどが還らぬ人となりました。

さて、私は25年来の夢であるピレニーズを明日我が家に迎え入れます。五十半ば過ぎの夫婦にとってたぶん最初で最後のピレニーズとなるでしょう。

じっくりブログを拝見致しました。たいへん楽しく読ませて頂きました。心より御礼申し上げます。
返信する
Unknown (ジョリイ)
2021-05-17 22:05:30
どういたしまして。
長門の最後は原爆の標的艦として悲しいものでしたがその時人は誰も乗艦していませんでした。かたや山城は、レイテ沖海戦で沈没し、最終的には約1500名の乗組員のほとんどが還らぬ人となりました。

さて、私は25年来の夢であるピレニーズを明日我が家に迎え入れます。五十半ば過ぎの夫婦にとってたぶん最初で最後のピレニーズとなるでしょう。

じっくりブログを拝見致しました。たいへん楽しく読ませて頂きました。心より御礼申し上げます。
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