上がハルカちゃん、下はユキちゃん、右下はコウスケくん。(2006年4月)
2002年の暮れに、一家離散した家族から捨てられたピレニーズ6頭は、平塚の保護センターに入れられ、レスキュー団体の方たちによって助け出されました。その一人
友人のK様から電話があったのは、確かクリスマスの日で、おし詰まった年末に、飼ってくださる里親を見つけるのは至難のことで私はお役に立てませんでした。
ピレニーズを飼っているK様は、小人症のユキちゃんと、コウスケ君の2頭を引き取りました。
その時に米原さんが母犬を、暮れに来たので「クレ」と名付けて飼ってくださったのです。クレが亡きあと飼って下さったピレニーズが、偶然に息子犬のボンちゃんだったのです。
ナナちゃんは、京都の方からのレスキュー犬で、性格が難しく、苦労されたようです。
写真はK様のお宅に伺った時のもので、パールちゃん亡き後に飼われたレスキュー犬のハルカちゃんが、ユキちゃんが膝の上にいるのにやきもちを焼いて飛び乗ってきたところです。
4年前に読売新聞の、「米原万里さんを悼む」沼野 充義 記事に掲載された写真
4月13日の朝日新聞で、4年前、56歳で他界した作家、米原万里さんの生涯と仕事を紹介する企画展が市川市の芳澤ガーデンギャラリーで開かれているのを知りました。
市川市の文化振興財団の理事長で9日に急逝した作家の井上ひさしさんが米原さんの義弟にあたる縁で本格的な展示が実現したそうです。
米原さんは、可愛そうな2頭のピレニーズを引き取って飼ってくださっていました。
ナナちゃんは前の飼い主の勝手で、性格が歪んだピレニーズで大変苦労されました。
ボンちゃんはある年のクリスマスに、保健所に両親と兄弟で入れられたのを鎌倉の友人M.Kさんとお仲間が全頭救い出し、里親を探しました。そして1頭を米原さんが飼ってくださったのです。
米原さんは亡くなる前に、この2頭のことを大変心配されていましたが、ナナちゃんは噛み犬でも何とか飼い通す東京の愛犬家のKさんが飼ってくださり皆で安心しました。ボンちゃんは兄弟を引き取って飼ってくださった湘南の方が引き取ってくださいました。
作家の米原さんが、私のピレニーズ専門の本(1984年発行)を読んで下さった事を、亡くなられた後に聞き、有り難く重く胸に受け止めました。