つれづれ日記

心と目の記録

78年前の橘丸での修学旅行の記録

2019-08-29 14:50:57 | Weblog
昭和16年の修学旅行の絵巻ものより
 

小学校6年生の4月に修学旅行で、伊勢、奈良、京都に行きました・

12月に大東輪戦争が始まった年で、列車の旅行ができず往復とも汽船の橘丸に乗りました。

芝浦港から船に乗り1泊、伊勢神宮をお参りして列車で奈良を観光、

京都に泊まり京都見物をしました。

その様子を絵巻物に描くように授業で教えられ、好き好きに描きました。

私は障子紙に絵を沢山入れて書いたら13メートルの長さの作品に仕上がりました。

昨日久しぶりに絵巻物を出してみました。障子紙をつぎ足ししてあるので

1本より太いのです。

広げた書き出しの部分は、芝浦から鳥羽港に橘丸が向かっている場面です。




下は橘丸の写真です。




東京湾の海の女王といわれた橘丸は1935年(昭和10年)に就航

(私たちが乗船したのは昭和16年)

 1973年(昭和48年)に運航終了した全長80.40m、1772トンの貨客船です。

 戦時中は陸軍病院戦になりニューギニア方面でB24の爆撃を受けました。




戦後は病院船使用のまま復員船として引揚者の輸送に使われ

 1948年に終わり1950年に東海汽船に戻りました。

 後に観光の船としてお伊勢参りや伊豆大島の納涼船などに使われ1973引退したのです。













16歳の終戦の日の日記より

2019-08-15 11:45:36 | Weblog



東京から父の故郷の広島県に疎開したのは

昭和20年7月23日で、広島県の中央部にある山村でした。

8月6日の原爆はピカッと光って台地が大きく揺れました。

広島市に大型爆弾が落ち悲惨な悲惨な状況のニュースが入っても

日本が負けるなんて誰も想像できませんでした。

 次は74年前の8月15日の終戦の日の日記です。

「十二時に重大放送があるというので、ラジオのスイッチを入れ耳を傾けて居たら

「汽車も十分間止めて厳粛な態度でお聞き下さい」と。

何事だろう、きっと陛下にご異常があったに相違ない。十二時になった。

「皆ご起立ください」君が代が奏せられ大詔(おおみことのり)が発せられた。

陛下の玉音らしい。終ってまた君が代が。

ラジオがガーガーなってよく聞き取れなかったが 後の報道でようやく分かった。

昭和20年8月15日、ついに日本はアメリカに負けたのだ。


日本の無条件降伏!なんということぞ。

大和魂で最後まで、撃って撃って撃ち抜くつもりだったのに。

日本の歴史がぐらっと大展開してしまったのだ。」

幕張ピーチ花火フェスタ

2019-08-06 17:37:39 | Weblog



8月3日 19時30分より

幕張ピーチ花火フェスタが開催されました。

23000発の花火が打ち上げられ

自宅のベランダに椅子を出して夢の様な1時間時間を楽しみました。

距離は遠くても幸運なことに7階から見えるその方角にさえぎる建物がなく

良く見えるのです。

カメラで撮るのは諦めて見ていましたが、終わりの方になって

ぶれても思い出になればと小さなカメラで追ったのを載せてみました。