つれづれ日記

心と目の記録

1996年開催のイギリスのピレニーズのショー観戦の思い出

2020-08-29 10:24:50 | Weblog

厳しい暑さとコロナ禍の毎日、古い日記やアルバムを見て
懐かしい思い出を楽しんでおります。

1996年7月に英国で開催されたピレにアン・マウンテンドッグの
 第一回ワールドカンファレンスに参加しました。

その時に、チャンピオンシップショーを観戦、BISに輝いたアポロロイァルの写真をアップします。

BIS MILENJOHY APOLLO ROYALE      BEST BIT CH CH SHANLIMORE KAROUSEL




オーナーに喜びの気持ちで手をかけるアポロロイアル

1986年に初めてクラブの50周年記念のショーを観戦に行き

日本のピレニーズとの違い大きいのに驚きました。

その後1996年まで10年間に知り合ったアメリカ、フランス、オーストラリア、オランダなど

沢山のピレ友に会え、実りある時を過ごせた幸せを全身に受け止めたあの高揚感は忘れられません。

渡哲也さんとピレニーズのキング君

2020-08-16 18:07:05 | Weblog


一度目の訪問は渡さんの近くに住む友人のO様の紹介で渡さんのお宅に伺いました。

奥様のご実家の広いお庭の一角に、渡さんのお宅が建てられていていました。

お二人は青山学院大学の同窓生で、奥様はとて控え目でしかも気配りの行き届いた暖かいお方です。

前の写真は1度目の訪問の時で、お宅を改築されてから2回目の訪問をさせて頂きました。

キング君は2歳の時に京都の初めの飼い主の都合で飼えなくなり

渡瀬恒彦さんがジープで引き取りに行き、東京に連れてきました。

渡瀬さんは可哀そうな犬達を何頭も引き取って飼う愛犬家で、月刊誌愛犬の友に紹介したので

取材に行った記者から聞きました。お庭は犬の為の庭となり穴ぼこだらけになっていたそうです。

そしてピレニーズは渡哲也さんが飼うことになり広いお庭を自由にさせていたので

何度も脱走して引き取りに行った奥様は保健所でお叱りを受けたと聞きました。

お宅を改築されたときキング君が快適に過ごせるように工夫され

坊ちゃんと仲良く遊んでキング君はとても幸せでした.

性格が温厚で、奥様のお父様が毎日キングの散歩をして下さるのです。

家族中から愛されるキング君、

感謝の気持ちでいっぱいになりました。

この写真はブルーの模様の服を着た私が隣にいるのですがトリミングしました。




渡哲也さんとピレニーズ

2020-08-15 10:16:15 | Weblog
渡哲也さんとキング君   (週刊誌の写真より)



渡哲也さんの訃報に接し頭の中は渡さんとキング君の思い出で一杯になりまっした。

2009年12月と2017年4月のブログに渡さんのピレニーズ、キング君の写真を載せてあります。

下は1976年始めて訪問したとき写したキング君です。


キング君が亡くなった時、渡さんは奥様に、私に、キングが亡くなったことを知らせるようにと仰り
奥様からお電話を頂き、渡さんのお人柄、お心使いに感動しました。

ご冥福を心よりお祈りいたします。


太平洋戦争で

2020-08-12 09:45:14 | Weblog



私が小学二年生の時に支那事変が始まり
12月に南京を陥落し町の中を旗行列をして歩きました。
子供たちは日本は世界一強い国だと洗脳され育ちました。
六年生の12月8日に太平洋戦争が勃発し
イギリス海軍の最大の艦プリンス・オブ・ウエールズは
12月10日にマレー沖海戦で日本の海軍に撃沈されました。
私は嬉しくて早速に便せんにさっと描いた絵が残っていました。

原子爆弾の閃光

2020-08-07 09:41:29 | Weblog
原子爆弾


1945年(昭和20年)広島の山村に疎開し
親戚の家で朝食の後、突然ぐらっと揺れて閃光が走りました。
広島市に大きな爆弾が落ちたのだろうと思ったくらいでした。
8月8日の新聞に「8月6日午前8時15分広島が新型爆弾攻撃された」とトップに報じられました。
世界で初めての原子爆弾と分かりました。
それでも降伏しない日本、長崎も原爆でやられ、8月15日に敗戦で終戦となったのです。
9月に東京に戻りましたが人生の中で忘れられない日々でした。

75年前の記憶

2020-08-04 09:55:57 | Weblog


7月で16歳になったばかりの私は、8月15日に第二次世界大戦の終戦を迎えました。
戦況が厳しくなり、7月22日に父の故郷の広島県の山村に疎開しました。
親戚の家の大きなスモモの木に赤い実がなっていたのが
スモモとの出会いで夏になるとスモモを買い味わいます。
兄弟4人でメールを交換していますが
妹も今年もスモモを食べたと書いてありました。
広島市から遠く離れた山村なのに8月6日の朝
グラッと揺れて原爆の閃光を見ました。
15日に終戦、戦後75年の人生をしみじみ考えました。。