つれづれ日記

心と目の記録

北海道の記憶

2018-09-17 11:10:18 | Weblog

 1990年にスケッチ風に描いた小樽運河 (4号くらいの麻紙)  




  9月6日に北海道胆振東部に最大震度7の地震がありました。

1990年9月28日にGPCJ(ピレニーズのアマチュアの愛好会)クラブののメンバーの

北海道のお宅を訪ねた時の記憶が鮮明によみがえりました。

ジョリィのオーナーのI様はニセコで「ペンション ジョリィ」を経営され一泊お世話になりました。

小樽運河、洞爺湖などそして日本海沿岸を案内してくださり、

札幌の2軒のピレニーズのお宅も訪問,夜はほかのピレニーズクラブの会員も集まり

楽しく充実した時を過ごしました。

帰りの空港で待っていると,台風20号の影響で羽田への便は出ないと放送され驚きました。

隣にいた女性が。牧場に務める息子に会いに来た帰りなので

牧場にもどり近くの旅館に泊まると言われたので、

私も一緒に連れていって下さいとお願いして牧場近くの旅館に一泊、翌朝の飛行機に乗り帰りました。

しかしその方のお名前も聞かず。牧場がどの辺の土地だったかも分かりません、

今になって地図を見たら、日高牧場でした。

日高は日本一の競走馬の産地だったのです。

私はよほど冷静さを欠いていてていたのでしょう。

お名前も住所も聞かず

お世話になった方にお礼の手紙も差し上げられず後悔しています。


小樽運河は大正12年に完成し、北海道の開拓を支えた港湾都市小樽の海運を支えた水路で

昔ながらの倉庫が並ぶ運河は、28年前に私の描いた絵と今も同じようです。











 






老猫の死

2018-09-09 10:47:30 | Weblog
5月3日 近くの家の門の中の、野良猫「薄ボケ」さん


 6月20日薄ボケさんの歩く姿
 

 のら猫の薄ボケさんが8月30日に天に召されました。
 
 地元の人の話では10年以上前からいるので、10歳以上の年齢だそうです。。
  
穏やかな雄猫で、幼い猫たちに優しく、面倒見の良い猫なので

以前ブログに2回載せました。

 Aさん宅の倉庫に住んでいて、近所のお姉さんが餌を運び

怪我をすれば医者に連れて行ってくれたそうです。

近くの愛猫家の中庭に良く遊びに行き、ごちそうを頂いたたりして幸せノラさんでした。

シャム猫の雑種で目は青く、被毛もシャムの色でしたが

我が家では「薄ボケ」と名付けていました。

母猫から親離れされた子猫を見ると見守って、いろいろと教えたりする姿は

胸を熱くさせられました。

8月の30日に具合が悪くなり、Aさんが獣医院に連れて行き診て頂きましたが

亡くなったそうです。天寿を全うしたのでしょう。

Aさんの庭の隅に埋葬され、お線香がたち、 多分、

お世話していた3人からの花束が飾られています。

お供えの、トロミ缶やチュウブのトロミなど沢山備えられて

歯がほとんど無くなっていた薄ボケさんを思っての皆からのお供えに

野良猫なのになんて幸せな一生だったのでしょうとしみじみ思いました。

  

  亡くなった2日前の薄ボケさんです。



娘の撮った写真をみながら、冥福を祈るばかりです。






はるかな尾瀬

2018-09-01 10:04:22 | Weblog

         尾瀬沼湖畔より、燧カ岳(ひうちがだけ)を望む     
 

  先週、朝日新聞のB面に尾瀬国立公園の記事が載っていて懐かしく思い出しました。

 1999年6月に船橋東武デパートの尾瀬へのバスツアーに妹と参加しました。

 沼山峠の入り口(標高1500m)まではバスで、そこから登山です・

 予想より急な山道の両端には残雪があり滑らないように必死に登りました。

 沼山峠の見晴らし台(1784m)に着いた時、

 大自然の中に広がる尾瀬の風景に感動!

 尾瀬沼(1670m)までは下り坂で.やがて大江湿原の木道を歩きます。

 水芭蕉、ニッコウキスゲなどの花々を楽しみながら尾瀬沼湖畔の東がわの

 平野長蔵小屋の近くに着きました。

 その近くで沼の向こうの燧ケ岳(2356m)など何枚かスケッチしました。
 
 画像は6號の色紙に描いた中の1枚です。

  
      夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空

   歌が心に浮かび,尾瀬の自然が脳裏に広がる、夢のような思い出です。


    尾瀬国立公園は福島、栃木、群馬、栃木の4県にまたがり

   燧ケ岳は福島県にある東北最高峰の火山で、

約500年前に噴火したとみられ、日本百名山に選定されています。