古い写真を整理しながら、長い人生を織りなした日々を、懐かしく思い出します。
夏から秋にかけて咲く真っ赤なサルビアの花を、何十年も毎年庭に植えました。
なぜかあの燃えるような赤い色が好きだったのです。
この写真は6歳年上のベルが亡くなったあと、チェリーが寂しそうにテラスに居る夕方の風景です。
テラスで何を考えているのでしょうか。
左にある犬舎と家の中で自由に暮らした私の最後のピレニーズです。
ハンカチに、ピレニーズの立ち姿の刺繍を頼んであった見本が届きました。
アメリカから発行されているピレニーズのスタンダードのイラストを
そのまま送り、刺繍の見本が出来たので修正部分があるか送ってきたのです。
絵と違い刺繍ですからOKですと返事をし、注文しました。
GPCJの会員に配布する物を考え、注文して出来あがって届くまで
やはり心配です。安心しました。
GPCJの1900年代の定期総会の時のお土産です。
此のころはいろんな種類のものをくじ引きでお土産にしました。
後ろの左は椅子の背当てで
車の椅子に付けていると恰好がよく人気がありました。
このような物を見ていると、ブルーナ気持ちが少しは気が楽になります。
7月21日に写真を載せた野ら猫の鼻チョビさんは、
此のあたりのボス猫だと思いこんでいました。
しばらく姿を見ませんでしたが、8月の末に2匹の子猫を連れて隣家の庭で遊んでいました。
牡かと思っていたら牝だったのです。
どこで生んだのか、どこで暮らしているのか、子猫はもう3週間くらいになっているように見えました。
9月2日にはその向こうの家の庭で子猫を相手に遊ばせている鼻チョビの姿に
いいお母さんしているわねと感心して娘とベランダから見ていました。
9月6日の朝、娘が道路で死んでいる鼻チョビを見つけ
私もすぐに見に行きました。
賢く機敏な猫なのに、道路を跳んで横断し、車にぶつかったらしく
頭部の傷だけで体に傷はありません。
前の家の人が綺麗な形で葬ってくださいましたが、
残された子猫たちがどうしているか気になって仕方がないのです。
その日から娘と野ら猫の運命を語り合う毎日です。心はブルー・・・・
1903年の写真のカードです。
1903年頃は、ピレネー犬と言わず、パトゥーと呼ばれたいました。
ピレネー山麓の景勝地のコトゥレでは、日曜日になると犬市がたち
犬を売りたい羊飼い達は山を下りてきてパトゥーを売り、
ポケットは空のまま山に帰ることはなかったと云われました。
現在のピレネー犬と大分違います。
なんだか悲しい絵ハガキです。
標高3000メートルの山々が峰を連ねるピレネー山脈。2満年前の氷河活動の結果
フランス側北麓はすり鉢状の圏谷になって、夏でも雪を頂く秀峰がそびえます。
ピレネー最大の圏谷、ガブァル二―圏谷は世界文化遺産に登録されています。
この渓谷の起点の町コトゥレは、犬の市場があり、ピレニーズを売りに来た人たちの
記録になる写真が残っています。