ナルザンの頭部
1985年にフランスで発行されたピレニアンの専門書に掲載されている写真を取り込みました。
ピレニアンの素晴らしい頭部としてナルザンの頭部が載せらレています。
ナルザンの頭部
1985年にフランスで発行されたピレニアンの専門書に掲載されている写真を取り込みました。
ピレニアンの素晴らしい頭部としてナルザンの頭部が載せらレています。
1980年のフランス チャンピオンシップ ショーでの
CH ナルザン デ コンテ ドゥ フォア
世界中のピレニーズの系統について、今でも気になり
写真を見ては考えます。
1984年に、私はピレニアンの本の執筆の依頼を受けた時
フランスのクラブの会長マンセンカウに手紙を出し資料をお願いして送ってきた写真の1枚です。
ナルザンは。美しい頭部をもち優雅なピレニアンで
現在北欧に流れるフランス系統の4代前くらいの血統所に名前がよく見られます。
日本にもこの血を受け継いだ系統のピレがいましたが、現在日本にフランス系はいません。
1980年に名犬ジョリーのモデルを務めたアリ君は95%アメリカ系のピレで
頭部は大きくナルザンとは別種のようなピレニアンでしたが
日本人の好みの真白い堂々とした犬でした。
黄色のシンビジウム
昨年12月6日にいただいたシンビジウムの黄色の花が46日目の今日、
後十数輪となtりました。
小さなカメラではこの花の好さはさっぱり分りませんが
大輪の黄色い花は眩しいほどに輝かしいのです。
葉を広げると1メートルはあるい大きい鉢で師走から今まで楽しませてもらいました。
昨年の11月5日の胡蝶ラン
胡蝶蘭の花はランの中で花の寿命が長いので、お目出度い時に贈る花だと聞きました。
4本立てのうち2本が、今も、けなげにも咲いてくれています。
後2鉢の胡蝶蘭の鉢があります。
一鉢は4年前の鉢ですが毎年花をつけてくれ今年も4本の芽が出ました。
鉢の植えかえをしなかったので小さくなってしまい
花芽の向きがあちこちで、いま4輪咲いて蕾が20ほどついています。
下のもう一鉢は昨年3月の鉢で、4本の芽が出ました。
最後に出た後ろの芽はまだ小さく4本揃うのは何時になるでしょう。
これからカーブをつけた支柱を立てて形を整える予定です。
茎の向きを揃えようと鉢を回して太陽に助けてもらって頑張っています。
先週、東武デパーとで開催された船橋洋ラン展を観にいき、
美しい洋ランの世界を楽しんできました。もう10年くらい見ていますが
毎年全体の雰囲気が違います。始めてみる品種が目についたり
、昨年まであった品種がなかったりです。
カトレアを始め、それぞれの種類のランは華やいで
目と心がひきつけられて、ひとときの夢の世界です。
東武百貨店賞を受賞した寄せ植え
洋ランの中で一味違うパフイオフェディラム
パアフィオは袋状になる唇弁が印象になってユニークな種類です。
会場風景
お正月を迎えて3日目に、S様からピレニーズのNちゃんが内臓の悪性腫瘍と診断され、立つこともできず・・・とメールがありました。
不治の病はどうすることもできず、ただ祈るだけしかありません。
チビ白黒さん 2014年12月
6日の朝、近くのアパートの男性が孤独死をされ、警察の人たちが来ていました。
それに気がついたらしい猫が私の後ろから走ってきて、男性の部屋の窓から飛び込みました。
その黒と白の牡猫は、1歳半くらいの野良猫ですが、亡くなったおじさんが可愛がって部屋の中に入れて餌をあげていたのです。
2013年の8月頃生まれで、近くで母猫と遊んでいる写真から今まで何枚もの写真ががあります。
毎日のように見ていたそのチビちゃんはおじさんが買い物に行くと、途中まで迎えに行き、帰るまでじっと伏せをして待っているのです。
おじさんは50歳くらいですが、体が悪く肢が悪くてやっと歩いて時々柱につかまって休んで、また歩きだすのですが、買い物から帰ってくる姿を見つけると飛んでそばに行き一緒に歩調を合わせて歩き、そのまま部屋に入っていくのを何回か見ました。
普段チビは一人でいますが、部屋に入りたいときは窓の下でニャーンとなくと、窓があいてチビはぽんと部屋に入るのを見たことがあります。
夜は一緒に寝ていたのかしら。
検死の人たちがいる部屋に飛び込んだチビは少しして窓から出てきて(追い出されたらしく)何とも言えない表情で座っていました。
おじさんの死をどのように受け止められたか?
もう部屋の前でニャーンとないても二度開かない窓の下にいたらと思うと可哀そうでなりません。
野良ネコは特別の人にだけは触らせますが警戒心が強く
餌をあげてすぐ近くにいても手を触れさせない猫がほとんどです。
この辺の野良猫は餌に困ることはないので食事の心配は全くないのですが
今までのような人間関係の生活ができなくなって寂しいでしょうと胸が痛い毎日です。
美しい母猫とはたまに逢っているので、少しばかり心安らぎます。
1月5日、綺麗な夕陽が沈むと暗くなり、やがて東の空に真っ赤な月が昇りました。
天空の神秘な一時です。
。
16時35分の夕陽
17時04分の赤い月
地平線(水平線)近くに月があるときは、月からの光が、厚い大気の中を通過することになります。すると、青い光は届きにくく、赤い光だけが私達の目に届きます。そのため、月が赤っぽく見えるのだそうです。昇り始めはもっと真っ赤で初めて見たときは驚きました。
私の部屋は南向きマンションの東端なので、東北の空まで見えます。
ベランダに出ると西に富士山が見られ夕陽を眺められます。
一眼レフで三脚を立てて撮れば好い写真が撮れるのにと思いながら
もうそんな欲も無くなりました。目的があっての撮影の時しか
一眼レフは使わなくなりました。
4日からインターネットが不通になって、昨日6日の午後にようやく開通しました。
2日に、昨年描いた絵を入れて、年賀状作りをしました。
描いた絵だけをパソコンでプリント
今年こそ全部手書きにするつもりで筆で書き始めましたが、
20枚も書くと大変になり、新年のご挨拶だけプリントし
そのあとに、同じ筆でそれぞれの方にひとこと書き
表に私の住所を書いたのをプリント、宛名は毎年手書きです。
パソコンのおかげで手間が助かり感謝。
2通ほどペンで書き添えましたが、やはり筆だけのほうがよいのでやめました。
麻紙に描いた羊の置物をはがきにプリントをすると
麻紙の色で葉書の地色が少しグレーになるので
絵を丸ぬきして収め絵の落款もおし、プリントしました。
毎年、落款だけは1通ずつ最後に押しましたが
曲がったりして苦労していたので助かりました。
日頃筆ペンは使っていますが、毛筆は1年に1回くらいです。
筆ペンより書きよく楽にかけるので楽しいです。
しかし40枚すぎると乱筆になってしまい
上のように全部書いてプリントをしました。楽です。
葉書の宛名の下のほうに一言書いたり工夫しました。
来年の賀状こそ年内に作成しておけばと思いました。
2日の今日は来客もなくようやく年賀状書きの準備です。・
干支の羊の絵だけは大晦日に描き上げたのですがそれきりで
毎年、新年にならないと出せない私です。
富士山のブログを間違って2度もアップしてしまい消す方法がわかりません。
新年おめでとうございます。
ベランダから仰いだ富士山は雲が少しかかっていましたが
朝日に輝いて気高さに感銘しました。
今年はよいことがありますように。
2015年1月1日 午前7時19分撮影
100K以上の遠い距離の、日本一高い山を
掌に入るほど小さなデジカメでとらえ、トリミングしたのでボケていますが記碌です。
そのあとは次第に雲がかかり見えなくなりました。