つれづれ日記

心と目の記録

秋の庭にピレニーズが?

2020-09-25 11:07:17 | Weblog
わが家のピレニーズが亡くなり置物のピレニーズで我慢

古い写真ですが、実物大のピレニーズの置物を庭において
過去の愛犬たちを思い出していた頃の平和な写真です。

75年前の日記帳を出して当時のことを調べている毎日ですが
当時15歳の私が体験した戦時中のことがいろいろ思い出されます。。
飛来した米機に体当たりし火を噴いて落下する日本機を何回も見ました。
学校に行く途中に私を目がけて低空飛行をしてきた小型機のアメリカ兵の顔が見え
もう死ぬかと思い地面にべたっとひれ伏しました。
からかわれただけで終わりました。
PCで検索すると同じ体験をした人のブログがあり
本当に機銃操作で撃たれ死んだ中学生もいたそうです。


8月は死者を思う季節

2020-09-19 09:13:42 | Weblog

画像は「神苑の決意」のHPからお借りしました。
まさに私の見た光景そのものでした。
米軍が撮影した画像で東京大空襲の資料にある一つらしいです。

8月の新聞に
「8月は死者を思う季節」という言葉が載っていました。
当時15歳の私は、3月10日の東京大空襲を疎開した川越から見ていました。
東京の空が真っ赤になり,次次に飛来するB29戦闘機から3時間余りに
キラキラした光が絶え間なく落ちていました。
38万発、計1700トン以上の焼夷弾投下され、死者は10万人

4月13日は城北大空襲で焼失20万戸、
4月の15日には城南京浜大空襲で焼失6万8400戸と。
5月25日の夜に470機のB29が来襲16万戸以上焼失しました。
私の古い日記帳には毎日の敵機来襲の様子が記してありました。
7月末に疎開した広島の山村での体験そして終戦
8月は私にとって戦争を思う季節でした。

ピレニーズのベルの思い出

2020-09-05 15:01:00 | Weblog
犬舎のベルちゃん



コロナ禍の毎日は思い出ばかり頭に浮かび

ピレニーズとのかけがえのない幸せだった日々を思い出しています。

50年前の1970年にピレニーズをわが家に迎えて、ほれ込んでしまった私は犬種のために

外国から専門書を取り寄せ夢中で調べ、より良い犬の作出のために勉強しました。

初めて生まれたA胎犬の中の雄のレオを残し始めてドッグショーに出しCHを完成

2年後にB胎のブリードをして雌のベルを残しました。

私一人の趣味での飼育ですから厳しい姑や家族に迷惑をかけないように努力しました。

当時は珍犬だったのでベルが東京新聞の日曜版に大きく取り上げられたり

テレビに出たり、ポスターになったりして華やかな存在だったので喜んでくれていたのでしょう。

3人の娘たちは手伝いはしないけれども、母親の趣味を認めてくれていたようでした。

雑誌の連載記事や専門書の執筆の依頼で、日本のピレニーズの発展のためになればと努力しました。

英、米、豪州の会員になり、世界大会に参加できたことに改めてピレニーズに感謝です。