つれづれ日記

心と目の記録

9月29日は忘れられない日

2005-09-29 22:09:37 | Weblog
1983年の9月29日。
私は成田空港にアメリカ人のポール ストラング氏を一人で迎えに行った。
世界中でピレニーズの神様と言われているこの犬の権威者である。著書の「コンプリート グレートピレニーズ」の内容について初めて手紙を出したところ、急の来日と言う結果になり、写真でしか知らないストラング氏を一人で出迎えるのは、生まれて始めての事で、不安で一杯であった。
英語もろくに話せないで、相手はアメリカ人。心臓はどきどき!
私の目印として、フランス製のピレニーズの大きなぬいぐるみを持って出迎えたので、すぐに分かって下さり、優しく穏やかな方で安心した。
其の29日から10月10日まで日本滞在中の、日程からホテルまで、自分ひとりで取り仕切った。
講演会を学士会館で開き大成功で皆に喜ばれた。東京をはとバスで案内したり、京都、広島など地方のピレニーズ愛好家にお願いして、日本でのピレニーズの幸せな飼育を見て頂き、観光を楽しんで頂いた。
ストラング氏とお話をし合い、質問をして教えを請い、ピレニーズのスタンダードを細かく深く教えて頂き、英、米の本やクラブの会報で得た知識で分からなかった大事な事が理解でき、開眼させられた。
私宅ではお座敷に泊って頂き、家族やベルとチェリーと庭で写真を撮ったり、楽しい思い出だ。
9月29日は私の人生の中で、忘れられない日なのである。

大好きな刃物

2005-09-28 23:40:28 | Weblog
今日、かぼちゃを切る時、手を滑らせて指を少し切ってしまった。
皮の硬い栗かぼちゃなので、厚手のしっかりした大きな古い堺の武助の包丁を使うので油断していた。
私の一番お気に入りの包丁は、「幻の名刀」牛刀で、大事に使っている。
15年以上前に、デパートの催し物で藤原照康刃物工芸の1本の菜きり包丁を買って以来のファンになって、後に手に入れた「幻の名刀」、きらきらと銀色に輝く包丁の刃を見ていると、惚れ惚れする。男性が刀に魅せられ気持ちが分かる。
この包丁と菜きり包丁の良く切れるのと2本の包丁は、これぞと言う時に使用して綺麗に手入れしてしまっておく。普通に使うのは牛刀も、菜きり包丁も別のもので、切れ味のよいもの。其の他使い道によって色々あり10本くらいを使い分ける。
照康氏の包丁を使う時は、神経を集中して使わないと、指などを切ったら大変である。刀と似ているから。
牛刀で金糸卵など本当に金の糸のように細く切れて、お皿に盛り上がった様は惚れ惚れする。
お刺身もこれを使うと活きの良さが一段と上がる。
菜きり包丁で剥いたり切ったりする野菜の垢抜けた姿は、見た目の美味しさになり、料理が楽しくなる。
鋏も大好き!鋏の切れ味の好さは快感、布を切る裁ち鋏が良くないと洋裁の、はかがいかない。
特にコートなどの厚地の布を裁断する時に、 ジャリー ジャリーと切れる鋏は本当に気持ちが良い。
1973年にヨーロッパに行ったとき、ドイツでゾーリンゲンの大きな裁ち鋏を求めて帰った。このごろは洋裁をしないけれど、又時間が出来たらこの鋏で裁断して洋裁をしたい。
切れる刃物での手の快感、だんだんと遠のいていきそうな感じは寂しい。

好きな花の記事

2005-09-28 14:18:05 | Weblog
花の好きな私は、A朝日新聞の朝刊に出ている「花おりおり」を毎日楽しみに見ている。
若いときには、花の記事は必ず切り抜いてファイルに貼り付けて、楽しみに眺めていたものだ。
今では沢山の本や資料が手許にあるので切り抜きはしていない。
しかし自分の特に気に入って残したい記事は切りとり、ファイルブックの中に保存して、必要な時に出して見る。
昔と違い情報社会になったので、健康や趣味の記事を切り抜く事が多い。

カメラの寿命

2005-09-28 00:19:52 | Weblog
彼岸花が次々と咲き、秋の庭を写してパソコンに入れたい。
しかしデジカメが故障し、新しいのを買う予定だが未だ決めていない。
小さなデジカメは馴染めなくて、ようやく慣れたと思ったのに2年で駄目になるなんて予想もしなかった。
私の一番長く使ったカメラはニコンS、1953年から子供達の成長や家族の生活などを写し、1970年からはグレートピレニーズ犬が主になり、75年に子犬の出産の場面から、毎日、子犬の成長記録を写している時に故障した。
22年目でシャッターの幕が破れたのだ。
ニコンの本社に持参修理してもらいその後も使ったが、キャノンのFTbを求めて便利になり、自然と使わなくなった。
1983年にキャノンのAE-1を求め随分沢山の犬の写真を写したり、雑誌や本の記事を書いていたので掲載する写真を綺麗に撮ることが出来た。故障はしない。
1990年にキャノン イオス10を主人が買ったが、私のカメラとなり12年間
本当に活躍してくれた。
アメリカ、イギリス、オーストラリアに行き、記念の最大のドッグショーを観戦することが出来、あわせると、数百頭の外国のピレニーズをカメラで記録に残す事が出来た。
12年目にオートフォーカスの部分が故障、修理費が高いのと、充分に役にたってくれたので引退。次は軽いキャノンのイオスキッスを使っている。
今日の彼岸花はこれで写した。
初めての小型で安いデジカメは、1400枚位しか写してないのに、壊れてしまいショックだった。しかしこのカメラの平均寿命なのかもしれないと、最近ようやく納得した私。
デジカメと言う新しい機械を私に教えてくれ、メールで送ったり、プリントをしたり、庭の季節の移ろいを収めてくれ、本当に活躍して楽しませてくれた小さなデジカメに今では感謝する。


彼岸花が咲いて

2005-09-26 11:49:05 | Weblog
待ちわびた彼岸花が、お彼岸の中日から咲き始めた。
もう15年以上前に植えた球根たちは、黄色と白花がいつの間にか無くなって、丈夫な赤とクリーム色が元気に茎を伸ばして美しい花を咲かせてくれる。
別名「曼珠沙華」の意味は”天上の花”という意味で、お目出度い事が起こる兆しに、赤い花びらが天から降ってくるという仏教経典によると知った。
この呼び名は赤い彼岸花のイメージで、クリーム色は「リコリス」と呼ばれるのがふさわしい。
リコリスはギリシャ神話の美しい海の女神「Lycoris」からとったもだそうだ。
彼岸花や夏水仙などの総称のリコリスの花たちは私のお好み。
球根は毎年増えるが手入れをしないので、鉢に植えたものは球根で一杯になっている。
しかし地面の思わぬところから1本、別の木の下に1本、とあちこちに出ているのをみると、種が飛んで増えるのか?不思議でならない。
茂ったパイナップルセージの根元に置いてある不要になったプランターの脇から、3本の彼岸花が蕾をつけ、茎が曲がって出ているのを発見!
夏の間、全く葉が無いので自然発生の球根は何処にあるか分からず、其の上に土の入った重い鉢などおいてしまう。
昨年この辺から1本でていたので、先日探して見つからなかった苗が、3株に増えて無理やり土から顔を出した姿を見たときは、感動と後悔の一瞬。
これから毎日次々と花開く彼岸花!秋は刻こくと深まっていく。

松村公嗣 日本画展を見て感動!

2005-09-26 00:21:54 | Weblog
今日25日は、G.Pのクラブの役員会が銀座のN.Tであり、昨日整理して纏めた書類などを持って出かけた。愛犬家の会合はつつがなく終わり一安心。
時間があったので松坂屋に入り、21世紀の日本画壇の担い手として大いに嘱望されている俊英作家松村公嗣の展覧会を観ることができた。
1948年生まれで、愛知県立芸術大学の大学院時代に、片岡珠子画伯の指導を受け、1972年の院展で初入選してから、今年までの作品60点を紹介する素晴らしい展覧会だった。
広く海外を取材旅行をし、それぞれの大地に生きる人々、風景、自然、花鳥、動物、を描いた作品の前に立ち、私は胸が痛くなるほどの感動を覚えた。
今まで見ていた日本画の世界から、枠を超えた新しい何かが胸に迫る。
(私の中では、21世紀の天才!)
絵は好みがあり、画家の表現法、見て受け取る側の脳とハートで評価は違うが。
初期の頃の絵は片岡珠子の絵のように力強いタッチで描かれいる。
若い時代の作品の人物の大きな顔、がっちりした姿の人間は、手法は全く違うが、洋画の田中阿喜良の描く人物と、作者の心のそこを流れるものが似ているように感じた。
大地にしっかりと生きる人達の表現は素晴らしい。
顔の描き方を良く見たが、細かく描かず、余計な筆は入れず、その絵の表情からオーラというのか、エネルギーがこちらに強く伝わってくる。
1995年作「薫風」繊細で清澄な絵、少女の凛とした瞳、服の色と模様、全て素晴らしく、息を止めて見てしまった。
又、日本画の牡丹の花は、何人もの作家の美しい牡丹の花が目に浮かぶけれども、こんなに心惹かれた牡丹の絵は初めてだ。
凛として、しかもはかなげな花びら・・・
絵の具の下地の金箔がかもし出すしっとりとした輝き、又抑えた強さ、このような使い方ができるのはやはり天才か!と感心しきりの私。
私個人は1988年ごろから最近の絵が好きだと感じた。
犬好きの私は、1989年の「宙(そら)」がたまらなく気に入ってしまった。
犬と少年の表情!何て素晴らしい!
 今日は感動を頂いた幸せな日だった。


今日は万年筆の日

2005-09-23 23:34:51 | Weblog
今日は秋分の日、検索したら、万年筆の日とも出ていた。
1809年に、イギリスのF B フォルシェが金属製の軸内にインクを貯蔵できる筆記用具を考案し、特許を取得した。」と。
私は小学校の頃、母の万年筆を使ってみて、書く感触の良さを味わって以来、万年筆が大好きだ。
1973年に初めて欧州旅行をした時、当時、念願の万年筆パーカーを求め、英語で書く時に長年使用していた。
1990年主人がフランスで買ってきてくれたのは、素敵なウォーターマン
しかしペン先が細くて小さい字で書くときにはよいが、普通には書きづらい。
1995年にアメリカに行ったとき、私の欲しかったモンブランの万年筆を空港で求めた。
きつい顔の太ったアメリカ女性と、免税品としての問題を話し合うのに、下手な英語で掛け合った苦労は今でも忘れられない。
書きよいのだが普通には一寸ペン先が太い。
翌年1996年訪英し、今度は中字に良いモンブランが欲しく、日本語でゆっくり選べる店をと、ロンドンの三越で求め安心。
モンブランの万年筆はいくら書いても手が疲れないのでお気に入りだ。
この4本の万年筆を、書く紙の質、便箋なら雰囲気、また相手によって使い分ける.
この4本以外に、私の手と心の一部になって、沢山の字を書いた色々の万年筆の思い出は限りなくある。
パソコンが普及し、手紙はメールでやり取りが一般的になってきた。
万年筆で手紙を書くのはもはや贅沢な事なのかも。
インクの色、ペンの太さなどで、絵を書く様に楽しい手紙を何時までも書きたいものだ。

フランスでの大会を思って

2005-09-22 23:56:27 | Weblog
今日は曇りの涼しい日。9月16日から開催されたグレートピレニーズの世界協議会が気になって、インターネットで、フランスのクラブのHPを開けて見た。
大会の報告や、ドッグショーの結果が載せられているかな?と。
しかし、世界協議会の細かい日程などが出ているだけで、普通のクラブのHPでザンネン。
色々な項目を開いて見たら、写真のページに、 Ans van den bergさんのピレニーズが載っていた。(掲載写真)
彼女は2000年に2回目の世界協議会の開催されたオーストラリアで逢い、ピレニーズの友達になった。
オランダ人の夫婦は、フランスから輸入したこの牝犬を、イギリスの2005年の世界最大のクラフツ展に出陳し、見事にBOBの輝かしい栄誉を獲得した。
フランスのクラブから、又彼女から今回の大会に参加するようお誘いがあったのに
・・・・・残念でならない
開催地のピレネーの山の地方は、は私にとって憧れの地、愛するピレニーズの故郷だから。
私の家の小さな築山には、大きなピレニーズのロミとレオそして日本犬2頭、猫6匹が眠っている。80年代には近くに動物の火葬場が出来たので、後のベルとチェリーは骨壷の中で、私の寝室で私を見守っている。
明日は秋分の日、様々な思いが無限に広がる。

大好きなベゴニア

2005-09-21 23:33:20 | Weblog
春から楽しませてくれたベゴニアは、もう充分に咲ききって終わりなので新苗の出るのを待っていた。
今日、生き生きしたピンクと赤のベゴニアがB店に入ったので入手。色の美しさに惚れ惚れする。
先日から問題の日日草は、今朝も萎れたのを発見、地面から上の方の茎が削れたようになり色が変わっているので、やはり病気か?
A店の○○記念大安売りで10数株求めた日日草は弱い苗なのかも。
今日A店の前を通ったので売れ残っている鉢を見てみた。地から茎が傷んでいて下の方の葉が枯れている。速成栽培の安い苗なのか、菌がついていたのか?
犯人はバッタではなかったようだ。
これからは、花苗を買う時は、花の美しさだけを見ないで、足下の土と立ち上がりの茎のしっかりしたものを選ぶべきだと自覚した。
写真のベゴニアは花のピンク色に魅せられて撮影。
自然の作り出す色彩は神秘なまでに美しい。