コロナ禍の毎日、パソコンの中で過去の思い出を楽しんでいます。
親しいO様のピレニーズの、今は亡きマティス君に
ピクチャーの中で会うことができ感動です。
2012年の写真をアップします。
コロナ禍の毎日、パソコンの中で過去の思い出を楽しんでいます。
親しいO様のピレニーズの、今は亡きマティス君に
ピクチャーの中で会うことができ感動です。
2012年の写真をアップします。
ピレニーズが主人公の一人である小説の本を
久しぶりに出してみました。
このピレニーズはフランク・コラーが所有していた犬です。
1970年にピレニーズを家族に迎え、この犬種の探求心に燃えた私は
1976年イギリスのクラブに入会、
1977年にアメリカのクラブに入会し、会報の写真を見て
日本とまるで違うピレニーズの世界に驚いたものでした。
1988年に、当時のGPCAの会報編集長スティ―ブ・バーマン氏に
拙著「素晴らしきピレ二アン」と写真などを送りました。
そのお礼にと頂いたこの本は、1964年に出版されもう絶版の本でした。
283ページの分厚い書籍で頂いた当時は、辞書を引きながら
夢中で見た懐かしい本です。
ピクチャの整理をしていたら、K様の三菜ちゃんがお目見え!
2007年に描いてK様に差し上げた6号の油絵です。
懐かしい数々の思い出が胸一杯に広がりました。
赤ちゃんの時から一生を見守ってきて、その思いを込めて描いたからでしょう。
あの頃はまだ体力、気力と集中力があったのだとしみじみ思いました。
左シフォンちゃんと右がラスク君 2013年7月7日
2013年の7月のブログに、那須のT様にご招待いただき
T様のピレ友の方たちと楽しい一日を過ごさせて頂き、9枚の画像を載せてあります。
昨日は下記のご本と写真とお手紙を頂き、ラスク君が今年3月15日に天に召されたことを知りました。
歯科医院の家族として家の中で暮らし、広い芝生のお庭を走りまわる2頭は
白い毛皮を着た人間と思っても不思議ではない姿でした。
満11歳がピレの寿命で、天寿を全うしたのですが、ご家族にとっては深い悲しみにくれます。
下は私が2013年7月に撮った、くつろいだラスク君です。
ピレニーズ愛好家T様ご夫妻は歯科医さんで、医院名は「ピレネー歯科医院」ですから
ピレニーズへの情熱というよりか信仰だと思います。
下は頂いたご本
自然の中に暮らすピレ二アンの写真集のような本で、
これから楽しませて頂きます。
大東亜戦争の戦禍が激しくなり、
1945年7月20日、疎開先の川越から父の生まれ故郷
広島県中部の山村に疎開しました。
女学校の四年生で広島市内の女学校に転校の手続きをする予定でした。
「8月6日の朝、8時過ぎにピカ!っと光って台地がぐらっと揺れました。」と
日記帳に書いてあります。二日後8月8日の新聞に、
広島は新型爆弾で攻撃された書いてあります。
父は道を歩いていて山の向こうにキノコ雲の上がるのを見たのです。
そして市内の下請けの会社がどうなったか、12日に焼け野原の広島市に行きましたが
余りの衝撃で家族に様子を話しませんでした。
市内から、やけどを負った近所の娘さんが帰ってきたので母はお見舞いに行きましたが、
火傷でむごい姿の娘さんはひどい匂いだったそうで、数日後に亡くなられました。
8月6日は終生忘れられない祈りの日であります。
2021年8月5日 18時46分 ベランダから眺めた夕焼けの空
大自然の神秘的な美しさに感動!
目の前の風景が急に赤くなったように感じたので
急いでベランダに出てみました。
近くの14階建てのマンションが赤く染まりました。
やがて日は沈み
西の空の中央よりやや右に富士山が見えました。
部屋にカメラを取りに入って出たらもうこの風景
富士山は雲に隠れてしまいました。
この空の色を何と表現したらよいでしょう。
2003年8月 初めてのデジカメ と題した画像です。
応接間の西側の出窓に飾った造花の下にピレニーズの置物、と頭部
2002年の9月から、下総中山駅前のパソコン教室でゼロからのお勉強
家が近かったので初期設定から先生に来ていただき
困れば飛んで行った当時を思い出すとなんて幸運な私だったと思います。
先生本当に有難うございました。
昨日ピクチャの整理をしていたらこの画像がでてきました。
10代には父のカメラを使い、結婚してからは夫のニコンやローライオートマットを使用
1970年にピレニーズを飼ってからはニコンと、カメらの長い歴史があります。
ですからデジカメが出たときには驚きと感動でした。
当時のことはすっかり忘れていたのに、嬉しくなりこれから過去のピクチャを調べてみるつもりです。
写真の右の、私が粘土で作ったピレニーズの頭部は転居の時に庭に埋葬してきました。
2005年9月7日に初めてブログの書き方を教えて頂いて、今まで続けられ
人生の歩みの一部を画像と共に残すことができ、心より感謝を申しあげます。
2006年からはマンション暮らしで超高齢者となりました。