つれづれ日記

心と目の記録

満93歳を迎えて

2022-07-18 10:31:11 | Weblog

7月の16日に満93歳の誕生日を迎えました。

 

長い人世を振り返り、子供の頃からの記録した物を出してみました。

きちんとした日記帳は、13歳の4月、女学校に入学した時から

学校に提出する日記帳で、先生の印や感想が書かれています。

 

小学六年生の12月に大東亜戦争がはじまり、

女学校3年生の7月からは,昭和飛行機工場に勤労動員され

15歳の少女たちはハンマーを振り上げて

飛行機の部品をを作る作業をしました。

工場で出される昼食はおかゆの中にタニシのような

得体のしれないものが入っていたなど

細かく書かれています。

 

私が疎開した後、戦局が激しくなり、同級生の一部は寮に入り

徹夜で働いたそうです。。

生徒たちの記録の小冊子が1974年に出版されました。

純真な少女たちが日本の勝利を信じて、

飛行機の部品造りを徹夜で作業をし

眠くなるので、ヒロポンを飲んだことが書いてあり、

久しぶりに当時の現実を複雑な思いで読みました。

 

 

 

 


自由で幸せなノラ猫さんたち

2022-07-13 11:22:37 | Weblog

7月8日、安倍総理大臣が、参院選の街頭演説の最中に

銃撃され死亡された事件のショックは大きく、

日本の警察の警護警備はどうなっているのか考えさせられました。

 

コロナ禍の毎日は買い物以外の外出はなく

娘の撮ったノラ猫さんの写真を見て楽しむ毎日す。

親子でもないのにこの辺の野良さんは皆仲良しで

一緒にお食事をします。

 


戦時中に描いたポスターを見て

2022-07-04 12:00:51 | Weblog

ウクライナの戦争で、戦争について考える毎日です。

 

1937年に中華民国北京で盧溝橋事件があり,支那事変と称されました。

日本は南京を陥落し、何もわからない8歳の私たちは

旗行列をして町を歩きました。。

1941年12月に大東亜戦争が勃発、1942年4月に、東条英機により

「第21回衆議院議員総選挙」が実施され、

その総選挙が翼賛選挙なのです。

 

13歳の時に私が描いた翼賛選挙のポスターがまだあったので載せました。

 

女学生は1944年7月から学業はせず、3年生の時

昭和飛行機工場に勤労動員され,15歳の少女たちは

輸送機を作ったのです。

私はその年の暮れに川越に疎開し、翌年転校した川越高女では

満蒙の兵隊さんの厚地の軍服を縫いました。

7月に父の故郷広島県中部の山村に疎開

8月6日、ぐらっと揺れて、原子爆弾の光を見ました。

9月に東京に戻り敗戦後の生活が始まったのです。

東京では半年もお米の配給がなく、代用食で生きていたのです。

 

東条英機大将は敗戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯とされ

昭和23年12月に絞首刑に処せられました。

 

ポスターの文字の横書きは、戦前は右から書いたので右から読みます。