韓国の船が沈没して
船長が真っ先に逃げ出したニュースを見たとき
反射的に私の脳裏に、軍神広瀬中佐が浮かびました。
下の絵は海軍中佐広瀬君の大遺勲 広瀬 美邦画です
明治37年日露戦争が始まって、3月27日、旅順港閉塞を目指す福井丸は港口に迫り、まさに投錨自沈しようとすると同時に敵の魚雷が命中、船底が割け瞬時に沈降を始めました。
広瀬中佐は乗組員を救命ボートに移し点呼しましたが、自沈用の爆薬に点火するために船倉に降りた杉野上等兵の姿が見えず、杉野はおらんか、返事をしろと何度も呼びかけ、沈みゆく福井丸の船内捜索をしても、ついに発見できませんでした。
捜索を断念し救命ボートに移ろうとしたとき、敵の砲撃によって戦死してしまいました。
そして広瀬中佐は文部省唱歌になり、80代以上の人ならみんな覚えている歌なのです。
轟くつつおと飛び来る弾丸
荒波洗うデッキーの上で
闇を貫く中佐の叫び
杉野は何処杉野は居ずや
船内隈なく尋ねる三度
呼べど答えず探せど見えず
船は次第に波間に沈み敵
敵弾いよいよ辺りに繁し
今はとボートに移れる中佐
飛び来る弾丸(たま)に忽ち失せて
旅順港外恨みぞ深き
軍神広瀬とその名残れど
この歌を子供たちはよく歌いました。
あるお医者様の記事で、こんなことがあるのかと驚いています。
「脳梗塞や認知症で物忘れがひどく、ろれつが回らないような方でも
広瀬中佐の歌を一緒に歌うと、3番まで歌うことができました。この歌好きなんですと涙を流す方もおられます。
終戦と同時に国家観が崩れ去り、この歌は記憶の奥に封印されたしまったのです。
うちの親はボケたなーと思う前にこの歌を歌ってあげてはどうでしょうか。
きっと新しい発見があり会話が弾むでしょう」
歌とか記憶の不思議さをしみじみ考えました。