1960年8月27日 氷川丸最後の航海の風景
一昨日夜、妹からのメールで、明日からアメリカに行くのでちょっと留守になると知らせが入りました。
ふと脳裏に浮かんだのは、55年前に氷川丸でフルブライト留学生として、アメリカに発つ妹を見送った時のことでした。
[氷川丸最後の航海] を検索したら当日の光景の写真があったのです。
私が氷川丸のデッキの上で写した写真などは残っていますが、こんなに大勢の人たちの見送りがあった様子には驚きました。この中に私もいたのですから。
氷川丸は1930年にシアトル航路用に豪華客船として建造され,太平洋戦争前には秩父宮ご夫妻、チャップリンをはじめ一万人が乗船しました。
戦時中は海軍に徴用されて病院船となり,三度の触雷でも沈没を免れ、一万トン以上の客船で残っていたのは氷川丸だけだったそうです。
戦後も病院船のまま復員輸送に従事した後、復元工事で貨客船に戻り昭和28年には内装をアメリカンスタイルに改造、シアトル航路に復帰しました。一か月に一回の割での航海で、主に日本とアメリカの交換留学生の為に使われたのだそうです。
昭和35年、船齢30年に達した氷川丸は8月27日に285人の乗客を乗せて最後の航海に出帆したのです。
2008年ノーベル化学賞を受賞した下村脩氏もこの船に乗船されていました。
その年に、妹の夫も留学し、大学院で学んだ二人は大学の先生として人生を過ごしました。
外国旅行に出るときにはいつもこれが最後だといいながら
80歳過ぎた二人はアメリカ東部の3都市への旅行に出ました。
氷川丸は最後の航海の後、横浜港山下公園先に
母港のシンボルとして船齢85歳の今も繋留保存されtいます。