つれづれ日記

心と目の記録

今朝の富士山

2021-12-27 11:32:37 | Weblog

気ぜわしい年末となり、雑用で日が暮れてしまいます。

女性の平均寿命は87.45才で、健康寿命は75.5才と言わっれます。

昭和4年生まれの私は平均寿命をとうに過ぎていますが、お陰様で健康です。

もって生まれた運命に感謝しながら長い人世を振り返る毎日です。

今日もよいお天気でベランダから,百数十キロ離れた富士山が見えました。

 

2021年12月27日 9時58分 


夕方の道のアロエの花

2021-12-22 10:48:24 | Weblog

毎日夕方に歩く川端の道の途中に、アロエの花が咲ていて

不思議な魅力にひかれます。

アロエはアフリカ原産のユリ科の多年草で江戸時代に渡来し、

俗に「医者いらず」と呼ばれ

ヤケドや傷などに、アロエの葉のゼリー状の部分をはったり、

胃痛や咳などに汁を飲むなど利用されました。

昔、義母は庭の手入れをしているとき、木にかけておいた花鋏が足元に

落ちて足に刺さり出血が止まらない時、アロエの葉のゼリー状の部分を塗り

出血が止まりました。

アロエ・ベラはヨーグルトやジュースなどの食品や、化粧水に利用されています。

キダチアロエの花期は12月から3月で、冬に咲く珍しい花です。

 


夕暮れ時に

2021-12-18 17:00:26 | Weblog

来年の年賀状には超高齢者になったので

今回で終わりにしますと書きたいけれどどうしたらよいか、考えています。

 

夕方買い物はしなくても、足のためにスーパーまで往復し3,000歩近く歩いて

途中の景色を楽しんでいます。

樹木を観察しカメラに撮り、検索して調べると

今まで知らなかった木々についての生い立ちが分かり

楽しく勉強させてもらっています。

ヤマボウシとソヨゴの赤い実について前に書きました。

 

川端の家のハゼノ木の紅葉した葉に夕日がさして葉の陰に大きなはぜの実がなってす。

メインの通りの並木はクロガネモチの木でよく見ると雌の木に小さな赤い実がなっています。

夕暮れ時、木々を見上げて歩く幸せ、あと何年生きられるのかふと考えてしまいます。

 

 


1998年本部展に出場のピレニーズ達

2021-12-14 19:53:27 | Weblog

 

先の見えないコロナ禍の日々で

現在のドッグショーの情報はブログで少しは見られましが、寂しい限りで、

ピクチャに入れてある過去のドッグショーを見ながら

それぞれのピレニーズを思い出しています。

 

1970年からわが家のピレニーズをドッグショーに出して

ドッグショーを楽しみましたが、あとは観戦に行きカメラで撮り

依頼されて撮影、犬の雑誌に記事とグラビアを載せました。

40年以上の沢山のショーの写真は押入れの奥にしまい込んであり

アルバムに入れてある少しの中からショーの様子を思い出しています。

ぼけていますが、1998年3月の本部展の様子をアップしました。


朝陽を拝んで

2021-12-11 09:11:24 | Weblog

12月11日 6時36分  今朝の朝陽          7階のベランダより

 

昨日は長い人世の過去の記録をきちんと纏めようと

12才から結婚までの12冊の日記帳を出して記録を始めました。

別の、7才からの思い出の記のノートから現在までの重要記録ノートは14冊

1960年から1980年までの貴重な手帳は11冊

 

久しぶりに出してみた手帳にはすっかり忘れていた事がメモされていました。

1965年の手帳に、「トップフリー」を入れたキャッチコピーが

幾つか書かれていて、朝日新聞に応募の記事を見て応募し

入選して賞をいただいたことを思い出しました。

三席で朝日講堂で東郷青児氏から賞状と宝石箱を頂きました。

黒革で中は真紅の宝石箱は今も使っています。

 

 

 

 

 

 


超高齢者の思い

2021-12-03 16:27:42 | Weblog

ヤマボウシの赤い実に魅せられて

遠回りをしてもこのマンションのある通りを毎日歩いています。

 

長い人世の終活をきれいに過ごしたいと毎日思います。

12才で戦争がはじまり、15歳の女学生は勤労動員で飛行機工場に通い

飛行機を造り、16歳で終戦、新たな生活が始まり平和な時代を過ごしました。

    マンションの塀の外のヤマボウシの木の実です。                  

 

私たち超高齢者のクラスメートは今どのくらい生きているのか時折考えます。

現代の若い人達には想像もできない経験をしたのですから。

1945年1月に、15歳で東京から川越に疎開し、東京大空襲の空を見ました。

真っ赤な空に敵機が焼夷弾を雨のように落とした様子は目に焼き付いています。

調べると東京大空襲の死者は10万人超、被災者は全体で100万人超と書かれています。

 

当時の日記帳には毎日敵機が何機来襲と書いてあり

戦時中のことを思い出すと胸が苦しくなります。

 

赤い木の実に癒されるなんて、とても贅沢なことです。