秘録エロイムエッサイム・1
(その始まり Eloim, Essaim)
晴れと雨を六日繰り返した後、その大風が吹いた。
「春一番てのは聞いたが、冬一番てのは初めてだな!」
「それって、木枯らしって言うんじゃないですか!?」
「木枯らしに、こんな生暖かいのはねえ。それに、なんだ、この臭いは!?」
確かに、黴臭いような生臭いような臭いが満ちていた。
「古い図書館だから、こんなもんですよ!」
「さっさと見回り済まして帰ろうぜ!」
この会話が、警報によって駆けつけたガードマン二人の、この世での最後の言葉だった。
箕作図書館は、その夜十万冊の蔵書とガードマン二人の焼死体を残して全焼した。正確には、一冊の本が奇跡的に残っていた。まるで火事の後に誰かが持ち込んだように、焼け焦げ一つなかった。濡れてはいたが水でふやけるということもなかった。
「なに、この本?」
やっと現場検証に立ち会えた司書の由奈が取り上げた。その本はタイトルだけが焼けて抜けていた。Eで始まっているのは分かったが、飾り文字なのであとは読めなかった。
「え、なにこれ?」
もう一人の司書の緑もよってきて、ページをくったが、その本には何も書かれていなかった。ただ装丁から言って、戦前からあった貴重本のような感じで禁帯のラベルが背表紙に貼られていた。
真美は、いつになく起きづらかった。
「真美、もう時間よ!」
母が階下で呼ぶ声で、やっと目覚めた。いそいで制服に着替えて鏡の前に立ってびっくりした!
「キャー!」
慌てて母親が駆け上がってきた。
「どうしたの真美!?」
「あ、あ、あたしの額に……!」
「……額がどうかした?」
「だって、ほら、鏡に……!」
真美の額にはEloim, Essaimの文字が血の色で浮き出ていた。
「え……なにも見えないわよ」
母は、鏡と娘の顔を交互に見たが、どこにも異変は無かった。
「だ、だって……!」
血文字から滴った血が目に入って、真美は一瞬目をつぶった。それを拭って目を開けると、もうEloim, Essaimの文字は見えなくなっていた。
「夕べの風で眠れなかったんでしょ。寝ぼけたか夢の続きか……とにかく急ぎなさい。いつもより五分遅いんだから」
そう言って母は、ダイニングへ降りて行った。
「どうした、季節外れのゴキブリでも出たか?」
朝食を終えた父がのんびり言った。
「え、あ、なんだか寝ぼけてたみたい」
そうとしか言えない真美だった。朝の五分は貴重だ。朝食は流し込み、朝のいろいろは、いくぶん省略。髪の毛の寝癖が気になったが、ポニーテールにしてごまかした。
そうして、家を出る時には一分遅れ。駅まで早足で歩いて、なんとかいつもの準急に間に合う。真美は日常に戻りつつあった。
そのことが起きるまでは……。
(その始まり Eloim, Essaim)
晴れと雨を六日繰り返した後、その大風が吹いた。
「春一番てのは聞いたが、冬一番てのは初めてだな!」
「それって、木枯らしって言うんじゃないですか!?」
「木枯らしに、こんな生暖かいのはねえ。それに、なんだ、この臭いは!?」
確かに、黴臭いような生臭いような臭いが満ちていた。
「古い図書館だから、こんなもんですよ!」
「さっさと見回り済まして帰ろうぜ!」
この会話が、警報によって駆けつけたガードマン二人の、この世での最後の言葉だった。
箕作図書館は、その夜十万冊の蔵書とガードマン二人の焼死体を残して全焼した。正確には、一冊の本が奇跡的に残っていた。まるで火事の後に誰かが持ち込んだように、焼け焦げ一つなかった。濡れてはいたが水でふやけるということもなかった。
「なに、この本?」
やっと現場検証に立ち会えた司書の由奈が取り上げた。その本はタイトルだけが焼けて抜けていた。Eで始まっているのは分かったが、飾り文字なのであとは読めなかった。
「え、なにこれ?」
もう一人の司書の緑もよってきて、ページをくったが、その本には何も書かれていなかった。ただ装丁から言って、戦前からあった貴重本のような感じで禁帯のラベルが背表紙に貼られていた。
真美は、いつになく起きづらかった。
「真美、もう時間よ!」
母が階下で呼ぶ声で、やっと目覚めた。いそいで制服に着替えて鏡の前に立ってびっくりした!
「キャー!」
慌てて母親が駆け上がってきた。
「どうしたの真美!?」
「あ、あ、あたしの額に……!」
「……額がどうかした?」
「だって、ほら、鏡に……!」
真美の額にはEloim, Essaimの文字が血の色で浮き出ていた。
「え……なにも見えないわよ」
母は、鏡と娘の顔を交互に見たが、どこにも異変は無かった。
「だ、だって……!」
血文字から滴った血が目に入って、真美は一瞬目をつぶった。それを拭って目を開けると、もうEloim, Essaimの文字は見えなくなっていた。
「夕べの風で眠れなかったんでしょ。寝ぼけたか夢の続きか……とにかく急ぎなさい。いつもより五分遅いんだから」
そう言って母は、ダイニングへ降りて行った。
「どうした、季節外れのゴキブリでも出たか?」
朝食を終えた父がのんびり言った。
「え、あ、なんだか寝ぼけてたみたい」
そうとしか言えない真美だった。朝の五分は貴重だ。朝食は流し込み、朝のいろいろは、いくぶん省略。髪の毛の寝癖が気になったが、ポニーテールにしてごまかした。
そうして、家を出る時には一分遅れ。駅まで早足で歩いて、なんとかいつもの準急に間に合う。真美は日常に戻りつつあった。
そのことが起きるまでは……。