タキさんの押しつけ映画評・91
『小さいおうち』
この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。
まず、松たか子さん……長年、見もせずボロクソに嫌ってごめんなさい。
あなたは出来る女優さんやったんですね。過日、劇団新感線の“メタルマクベス”における大勘違い芝居と、カーテンコールにおける あなたの“ドヤ顔”に、「二度とこの女の出ている作品には触れるまい」と誓ったのでありました。ところが、本作であなたが演じた“時子奥様”には魂鷲掴みにされまた。
大方の邦画ファンにはフルボッコにされそうですが、山田洋次も大して認めていませんでした。私的には、前作「東京家族」は小津の猿真似、退屈な失敗作にしか見えませんでした。本作監督が山田洋次だってのは信じられませんでした。 いや、ほんまにエエ作品でござりました。
ストーリーの歴史感覚も割と正確……ああ、一カ所、初めの方で 孫の妻夫木が「南京では大虐殺が有った」なんぞとのたまわり、他では孫の失言を訂正するタキ婆ちゃんが、この一言にはノーコメント。原作にあるのか、山田の私見なのか解りませんが、「こいつもかい」と、失望いたしました。まぁ、そこをのぞけば、歴史認識はいずこにも傾かず、正確な昭和初期の小市民感覚を写していました。
見ていてバージニア・リー・バートンの絵本「ちいさいおうち」を意識したのですが、後半、そのまま絵本が登場した時には大笑いしそうになりました。この映画を見て、改めて“昭和”という時代を想ったのでありますが……それは置いときましょう。「また、オジンが感傷に浸っとる」と思われるのが落ちでありますわ。見る人それぞれの感覚で感じていただければよろしいかと思います。後はパンフレットを買って下さい。良く出来たコラムが幾つも入っています。
さて、ごく普通の人々の生活にも様々なドラマが有るんだ……という、ある意味当たり前のお話なんですが、これを小説にし 映像化するのは難しい。いや、書けはするけどリアルな説得力があって、エンタメとして面白い作品にはなかなか成らないんだな。その意味、この映画がとても面白いのは(勿論、原作が良いのは読んでいなくてもわかりますが)タキという女中さんの造形によって担保されています。当然、原作の設定ですが、黒木華が見事に肉化しました。これ以上のリアルは望めない、現実に生きている人としてスクリーンに存在しています。また、老いたタキを演じた倍賞千恵子さんが、黒木の演じ方を巧く引き継いでいて、違和感なく一人の人物の老若が繋がっています。こんな ちょっとした気遣いが画面の隅々に感じられ、さらにこの映画をリアルな作品へと押し上げています。山田組の現場はチームワークの良さが喧伝されていますが、本作の現場は その中でも最高の噛み合わせだったのだと思います。
もう一つの要因は、丘の上の赤い瓦の「小さなおうち」に“命”を持たせる事に成功している事です。
セットの平面図を見ていると「どこが“小さい”ねん!」と思いますが、決してお屋敷ではなく、まさに小市民の精一杯の夢と幸せが詰まった(山田洋次の青春時代には“プチブルの下らない夢”として拒絶されてました)小さな結晶なのです。明治に外国から一挙に流入し、大正に狂い咲き、この映画の描く時代に日本の文化として結実した、様々な形の日本人の夢であり、戦争を挟み、その後永らく日本人が追い求めて来たものの原形が この“小さなおうち”に代表されています。
……嗚呼、昭和を語りたい~~けど、やめときますわい。
キャラクターは皆さんそれぞれに魅力的で存在感たっぷり……一番華やかなのは松たか子の時子奥様です。淫らに堕さない色気と聡明さが無理なく両立しています。一家を守る主婦の顔が、一瞬 内からこみ上げる衝動に豹変する。一瞬だけ彼女の全身から凄絶な色香が発せられる……まるでスクリーンから香り立ってきそうです。
今の時代からすると、多少理解しづらい部分もあるかもしれませんが、人の営みの普遍的な所を表現しています。「永遠の0」なんかでも思ったのですが、どうしてもラストが駆け足です。原作がどうなのか判りませんが、映画はどうしても時間の制約上 駆け足に成りがちです、そこが製作者の腕の見せどころなのですが、納得のラストにはあまりお目にかかりません。殊に、タキ婆ちゃんが「私は永く生きすぎた」と泣くシーン…これがラストに向かう入り口に成るのですが、そこからがちょっと忙しい……かな? う~ん。決して映画を損なう程じゃないんですがぁ、これは「無いものねだり」とは思いたくないですね。
『小さいおうち』
この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。
まず、松たか子さん……長年、見もせずボロクソに嫌ってごめんなさい。
あなたは出来る女優さんやったんですね。過日、劇団新感線の“メタルマクベス”における大勘違い芝居と、カーテンコールにおける あなたの“ドヤ顔”に、「二度とこの女の出ている作品には触れるまい」と誓ったのでありました。ところが、本作であなたが演じた“時子奥様”には魂鷲掴みにされまた。
大方の邦画ファンにはフルボッコにされそうですが、山田洋次も大して認めていませんでした。私的には、前作「東京家族」は小津の猿真似、退屈な失敗作にしか見えませんでした。本作監督が山田洋次だってのは信じられませんでした。 いや、ほんまにエエ作品でござりました。
ストーリーの歴史感覚も割と正確……ああ、一カ所、初めの方で 孫の妻夫木が「南京では大虐殺が有った」なんぞとのたまわり、他では孫の失言を訂正するタキ婆ちゃんが、この一言にはノーコメント。原作にあるのか、山田の私見なのか解りませんが、「こいつもかい」と、失望いたしました。まぁ、そこをのぞけば、歴史認識はいずこにも傾かず、正確な昭和初期の小市民感覚を写していました。
見ていてバージニア・リー・バートンの絵本「ちいさいおうち」を意識したのですが、後半、そのまま絵本が登場した時には大笑いしそうになりました。この映画を見て、改めて“昭和”という時代を想ったのでありますが……それは置いときましょう。「また、オジンが感傷に浸っとる」と思われるのが落ちでありますわ。見る人それぞれの感覚で感じていただければよろしいかと思います。後はパンフレットを買って下さい。良く出来たコラムが幾つも入っています。
さて、ごく普通の人々の生活にも様々なドラマが有るんだ……という、ある意味当たり前のお話なんですが、これを小説にし 映像化するのは難しい。いや、書けはするけどリアルな説得力があって、エンタメとして面白い作品にはなかなか成らないんだな。その意味、この映画がとても面白いのは(勿論、原作が良いのは読んでいなくてもわかりますが)タキという女中さんの造形によって担保されています。当然、原作の設定ですが、黒木華が見事に肉化しました。これ以上のリアルは望めない、現実に生きている人としてスクリーンに存在しています。また、老いたタキを演じた倍賞千恵子さんが、黒木の演じ方を巧く引き継いでいて、違和感なく一人の人物の老若が繋がっています。こんな ちょっとした気遣いが画面の隅々に感じられ、さらにこの映画をリアルな作品へと押し上げています。山田組の現場はチームワークの良さが喧伝されていますが、本作の現場は その中でも最高の噛み合わせだったのだと思います。
もう一つの要因は、丘の上の赤い瓦の「小さなおうち」に“命”を持たせる事に成功している事です。
セットの平面図を見ていると「どこが“小さい”ねん!」と思いますが、決してお屋敷ではなく、まさに小市民の精一杯の夢と幸せが詰まった(山田洋次の青春時代には“プチブルの下らない夢”として拒絶されてました)小さな結晶なのです。明治に外国から一挙に流入し、大正に狂い咲き、この映画の描く時代に日本の文化として結実した、様々な形の日本人の夢であり、戦争を挟み、その後永らく日本人が追い求めて来たものの原形が この“小さなおうち”に代表されています。
……嗚呼、昭和を語りたい~~けど、やめときますわい。
キャラクターは皆さんそれぞれに魅力的で存在感たっぷり……一番華やかなのは松たか子の時子奥様です。淫らに堕さない色気と聡明さが無理なく両立しています。一家を守る主婦の顔が、一瞬 内からこみ上げる衝動に豹変する。一瞬だけ彼女の全身から凄絶な色香が発せられる……まるでスクリーンから香り立ってきそうです。
今の時代からすると、多少理解しづらい部分もあるかもしれませんが、人の営みの普遍的な所を表現しています。「永遠の0」なんかでも思ったのですが、どうしてもラストが駆け足です。原作がどうなのか判りませんが、映画はどうしても時間の制約上 駆け足に成りがちです、そこが製作者の腕の見せどころなのですが、納得のラストにはあまりお目にかかりません。殊に、タキ婆ちゃんが「私は永く生きすぎた」と泣くシーン…これがラストに向かう入り口に成るのですが、そこからがちょっと忙しい……かな? う~ん。決して映画を損なう程じゃないんですがぁ、これは「無いものねだり」とは思いたくないですね。