ライトノベルセレクト
『らっきーは めつ』
……芹沢淳が率いる大手門高校とOG劇団である金曜座は、そういう傾向の中で、個が(確立されるどころか)壊れてしまわざるをえない時代の痛ましさを凝視してきたのである。
燿子は懐かしい思いで、その劇評を読み返していた。
「オレ、今夜歓送迎会。飯いいや」
亭主の有樹が、呟くように言うと玄関を出て行った。
「らっきー」と、燿子は声に出てしまい、有樹に聞こえなかっただろうかと、少しの間気にした。遠ざかる足音には変化はない。
これで、今夜は夕食の準備をしなくても済む。パートの仕事が終わったら、久しぶりに渋谷にでも出てみようか。新宿や原宿でないところが、我ながらつましい。
有樹には計画性というものが無い。五年十年先を見越した人生設計がない。いつまでも若くはない、三十代、四十代になった時のビジョンを持っていなくちゃ。
三十までは子どもは作らない。そのかわりお金を貯めて、家を買う。そして子ども。家と子どもは足かせになるだろうけど、三十代なら、楽しみながら苦労も乗り越えられる。
余力で四十代の前半は乗り切れるだろう。後半では、ローンも返し終える。子どもも育て方さえ間違えなければ、手が掛からなくなる。そして、それからが本格的な自分の人生だ。五十以降の人生は未知数。だけど燿子は、自分中心でやっていこうと思っている。場合によっては有樹と別れることも選択肢の中に入っている……ことは秘密。
懐かしくなって、金曜座を検索してみる。
金曜座は、高校の演劇部顧問の芹沢先生が、卒業生を集めて作った劇団。クラブの卒業生の大半が所属していた。高校演劇ではないので、五十分という枠に縛られることもなく、先生のオリジナルや、女ばかりで『真田風雲録』などを演ったりした。
あのころ、燿子にとって芹沢先生は神さまだった。先生の言うことやることが全て正義で、演劇の王道だと思っていた。
最初に見かけた劇評も当時、先生と仲の良かったSMという似たような劇団の座長が書いたもので、当時は燿子たちの憧れであった。
この劇評は、燿子にとって最後の舞台になった『らっきー波』という芝居へのものであった。この芝居に対し、もう一つの劇評があった。
――これは、ただの演劇部の延長で劇団とは呼べない。劇団と称するなら、劇団員は卒業生だけではなく、広く一般から求められなくてはならない。観客も現役の生徒やOGが大半で一般の観客はほとんど見かけない。芝居も、ドラマの構成が甘く、人物の掘り下げが浅い。役者も皆エロキューションが同じで、注意しないと、観ていて混乱する。自己解放、役の肉体化、役の交流が不完全。もう高校生だからという言い訳は通用しない――
中林という劇作家がクソミソに酷評した。ブログにコメントすると「じゃ、会ってお話しましょう」と、電話番号が書かれたコメントが返ってきた。
「わあ、挑戦的……」
「ちょっち、怖いなあ……」
みな尻込みして電話するものがいなかった。で、燿子が電話してじかに会って、中林から話を聞いた。
「SMさんは『個が壊れてしまわざるをえない時代の痛ましさを凝視してきたのである』と書いていらっしゃるけど、金曜座自身が内に閉じて、劇団員の個を壊してるよ」
「どういう事ですか!?」
「金曜土曜を潰して稽古。二十歳前後の女の子には大事な曜日だよ。買い物に行ったり、友達と出かけて喋ったり、本当に自己確立していく大事な時期だ。それを高校演劇の延長で潰しているのは、どうかと思う」
「あたしたちは、金曜座で自己確立してるんです。団員はみんな心の友です!」
ボキャ貧の燿子は、ジャイアンのような言葉で締めくくった。
「金蘭の友か……」
「え……?」
「非常に親密な交わり。非常に厚い友情てな意味です」
「その通りです。あたしたちは芹沢先生の元で、演劇を通して……」
「それは、勘違い」
「なんですって!」
「そう熱くならないで、芽都さん」
中林は、燿子の苗字を正確に「めつ」と読んだ。たいていのひとは「めず」とか「めと」と読む。
中林は、ノートを広げ、燿子の演技に一つ一つ質問した。
「あそこで泣くのはどうして……違う、原因は、その前の篤子の言葉だ。それに、ここは泣くんじゃなくて泣くのを堪えようとして涙になるんだ。山本がグチっている間、君はイヤさ一般を見せているだけ……」
この手厳しいダメ出しには、一言も返せず、返って自分の狭さ小ささを思い知らされた。
「よかったら、この芝居、ごらんなさい」
中林は劇団新幹線のチケットをくれた。
そして、観にいって人生が変わった。
新幹線の芝居を観て、ほどなく燿子は金曜座を辞めた。別の劇団に入ったが、金曜座でついたクセが抜けず、金曜座の観客が反応してくれた演技では、観客席は冷めるばかりだった。
中林に電話すると「人生設計をしましょう」という答が返ってきた「どうやったら、あたしの演劇人生は……」そう聞くと「芽都さんは、何本戯曲を読んだ?」と返ってきた。
この一言で、燿子は愕然とした。自分は芹沢先生の本と、彼が勧めた本しか読んだことが無かった。
本来、頭の回転のいい燿子は、これで頓悟し、芝居から離れ、大学を出た後は仕事に専念、そして今に至っている。
「あ、雨!」
ボンヤリしていた燿子は、雨の降り始めに気づかなかった。
「あ~あ、洗濯のやり直し……」
燿子は、家を建てるときにはベランダにはアクリルで見通しのいい大きな庇を付けようと思った……。
『らっきーは めつ』
……芹沢淳が率いる大手門高校とOG劇団である金曜座は、そういう傾向の中で、個が(確立されるどころか)壊れてしまわざるをえない時代の痛ましさを凝視してきたのである。
燿子は懐かしい思いで、その劇評を読み返していた。
「オレ、今夜歓送迎会。飯いいや」
亭主の有樹が、呟くように言うと玄関を出て行った。
「らっきー」と、燿子は声に出てしまい、有樹に聞こえなかっただろうかと、少しの間気にした。遠ざかる足音には変化はない。
これで、今夜は夕食の準備をしなくても済む。パートの仕事が終わったら、久しぶりに渋谷にでも出てみようか。新宿や原宿でないところが、我ながらつましい。
有樹には計画性というものが無い。五年十年先を見越した人生設計がない。いつまでも若くはない、三十代、四十代になった時のビジョンを持っていなくちゃ。
三十までは子どもは作らない。そのかわりお金を貯めて、家を買う。そして子ども。家と子どもは足かせになるだろうけど、三十代なら、楽しみながら苦労も乗り越えられる。
余力で四十代の前半は乗り切れるだろう。後半では、ローンも返し終える。子どもも育て方さえ間違えなければ、手が掛からなくなる。そして、それからが本格的な自分の人生だ。五十以降の人生は未知数。だけど燿子は、自分中心でやっていこうと思っている。場合によっては有樹と別れることも選択肢の中に入っている……ことは秘密。
懐かしくなって、金曜座を検索してみる。
金曜座は、高校の演劇部顧問の芹沢先生が、卒業生を集めて作った劇団。クラブの卒業生の大半が所属していた。高校演劇ではないので、五十分という枠に縛られることもなく、先生のオリジナルや、女ばかりで『真田風雲録』などを演ったりした。
あのころ、燿子にとって芹沢先生は神さまだった。先生の言うことやることが全て正義で、演劇の王道だと思っていた。
最初に見かけた劇評も当時、先生と仲の良かったSMという似たような劇団の座長が書いたもので、当時は燿子たちの憧れであった。
この劇評は、燿子にとって最後の舞台になった『らっきー波』という芝居へのものであった。この芝居に対し、もう一つの劇評があった。
――これは、ただの演劇部の延長で劇団とは呼べない。劇団と称するなら、劇団員は卒業生だけではなく、広く一般から求められなくてはならない。観客も現役の生徒やOGが大半で一般の観客はほとんど見かけない。芝居も、ドラマの構成が甘く、人物の掘り下げが浅い。役者も皆エロキューションが同じで、注意しないと、観ていて混乱する。自己解放、役の肉体化、役の交流が不完全。もう高校生だからという言い訳は通用しない――
中林という劇作家がクソミソに酷評した。ブログにコメントすると「じゃ、会ってお話しましょう」と、電話番号が書かれたコメントが返ってきた。
「わあ、挑戦的……」
「ちょっち、怖いなあ……」
みな尻込みして電話するものがいなかった。で、燿子が電話してじかに会って、中林から話を聞いた。
「SMさんは『個が壊れてしまわざるをえない時代の痛ましさを凝視してきたのである』と書いていらっしゃるけど、金曜座自身が内に閉じて、劇団員の個を壊してるよ」
「どういう事ですか!?」
「金曜土曜を潰して稽古。二十歳前後の女の子には大事な曜日だよ。買い物に行ったり、友達と出かけて喋ったり、本当に自己確立していく大事な時期だ。それを高校演劇の延長で潰しているのは、どうかと思う」
「あたしたちは、金曜座で自己確立してるんです。団員はみんな心の友です!」
ボキャ貧の燿子は、ジャイアンのような言葉で締めくくった。
「金蘭の友か……」
「え……?」
「非常に親密な交わり。非常に厚い友情てな意味です」
「その通りです。あたしたちは芹沢先生の元で、演劇を通して……」
「それは、勘違い」
「なんですって!」
「そう熱くならないで、芽都さん」
中林は、燿子の苗字を正確に「めつ」と読んだ。たいていのひとは「めず」とか「めと」と読む。
中林は、ノートを広げ、燿子の演技に一つ一つ質問した。
「あそこで泣くのはどうして……違う、原因は、その前の篤子の言葉だ。それに、ここは泣くんじゃなくて泣くのを堪えようとして涙になるんだ。山本がグチっている間、君はイヤさ一般を見せているだけ……」
この手厳しいダメ出しには、一言も返せず、返って自分の狭さ小ささを思い知らされた。
「よかったら、この芝居、ごらんなさい」
中林は劇団新幹線のチケットをくれた。
そして、観にいって人生が変わった。
新幹線の芝居を観て、ほどなく燿子は金曜座を辞めた。別の劇団に入ったが、金曜座でついたクセが抜けず、金曜座の観客が反応してくれた演技では、観客席は冷めるばかりだった。
中林に電話すると「人生設計をしましょう」という答が返ってきた「どうやったら、あたしの演劇人生は……」そう聞くと「芽都さんは、何本戯曲を読んだ?」と返ってきた。
この一言で、燿子は愕然とした。自分は芹沢先生の本と、彼が勧めた本しか読んだことが無かった。
本来、頭の回転のいい燿子は、これで頓悟し、芝居から離れ、大学を出た後は仕事に専念、そして今に至っている。
「あ、雨!」
ボンヤリしていた燿子は、雨の降り始めに気づかなかった。
「あ~あ、洗濯のやり直し……」
燿子は、家を建てるときにはベランダにはアクリルで見通しのいい大きな庇を付けようと思った……。