タキさんの押しつけ映画評・95
『RUSH』
この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。
興奮しました。
76年のF-1シーンを知らなくても絶対エクサイト、且つ感動出来る作品です。
爺婆であろうが若かろうが、およそモータースポーツを愛する者ならハートを鷲掴みされます。絶対にお薦め!
以下、オッサンの感傷であります。お暇な方だけお読み下さい。
私がF-1に夢中になりだしたのは70年頃、まだ今のように全レース中継など無く、モータースポーツ誌でしか詳細が判らなかった頃。二本立てロードショー公開の一本がF-1のドキュメントでした。マイケル・アンドレッティがワールドチャンピオンに成った時の映画で、当時 もう一本が目的で行ったのに、F-1の迫力に圧倒されました。
当時のヒーローは陽気なアメシカン/マイケル・アンドレッティ……ハントもラウダもまだ居ません(彼らはF-3で暴れていた頃)エマーソン・フィッティバルディやジャッキー・ステュワートなんかとマイケルのデッドヒートの時代でした。
今や、F-1carは世界一安全な車、300キロでスピンクラッシュしてもドライバーは安全です。94年の アイルトン・セナ以降、F-1ドライバーの事故死はありません。セナにせよ、あの当時250キロでコンクリート壁に真っ正面から激突しなければ……彼はまだ生きていた筈です。
セナやプロストの活躍より20年前、F-1全ドライバー(25-6人)の内、年平均2人がレース中に事故死しています。クラッシュした車の破片やタイヤが観客席に飛び込んで巻き込まれた観客も多数います。当時は今より観客席がコースに近く、かつ コースの至る所に観戦客がいました。作中、ハントが「走る棺桶」とマシンを表現していますが、まさにその通り、軽自動車のドライビングビュウポイントより 更に低いビュウポイントで、軽自動車並みの自重しかないマシンに500馬力のエンジンが搭載されている。以前、軽自動車にツインキャブ搭載が流行った時、道路からの飛び出し事故が多発しましたが、F-1ドライバーの恐怖はそんなもんじゃなかった筈です。今のように機械的に接地力を付加している訳ではなく、車体前後のウィングによるダウンフォースとタイヤの食いつきに頼るしかない。しかもステアリングもダウンかアップか いずれかの傾向がある。そのため、コーナーでは車をドリフトさせるなどスライドさせてクリアしていく。現在では車をドリフトさせるのはタイムロスに成るため、そんなテクニックは事故車をスルーする時くらいにしかお目にかからない。
現在の車はオートマティックで半分コンピューターが走らせているようなものだが、当時はマニュアルで、しかもクラッチなど踏まない。エンジン回転とスピードを合わせてギアチェンジする。勿論、回転計は装備されているが、殆どはエンジン音の変化で回転数を察知する。あの頃のエンジントラブルの大多数は回転が合っていないのに強引にシフトチェンジする事によって引き起こされています。
さて、本作の76年のシーズンですが、よう覚えております。
やっぱりニキ・ラウダがドイツGPでクラッシュ炎上、生死の境をさまよいながらもシーズンに復帰、最初苦戦したレースの中盤からの激走で4位に付け、ラウダ/ハントのチャンピオン争いに注目が集まった。我がアイドル マイケル・アンドレッティは既に盛りを過ぎたりとは言えまだまだ若いもんには譲らない気迫で、私ゃ相変わらずマイケルを応援しとりました。
この時もテレビ中継は無く、ラウダのクラッシュ炎上も後のドキュメントで見ました。映画の中のクラッシュシーンが、あの時の記録映像そのままなのにはびっくりいたしました。あの頃はジェームス・ハントっちゃあ野獣のプレイボーイでラウダは冷たいコンピューター野郎、全く私の好みじゃなかった。しかし、この頃のF-1ドライバーは皆個性的、今のドライバーはストイックでアスリート性が高くなったけど人間臭さを感じられない。セナ/プロストの競り合い、プロスト引退後シューマッハが非力なマシンでベテランを脅かし始めた頃までが私には面白かった。殊にセナの死後、急速にF-1から興味が失せた。
ワークスチームの浮沈は今も変わらないがドライバーは似たり寄ったりに成った。この頃のフェラーリも低迷していてラウダの参戦から上向きに成った。ハントタイプとラウダタイプ……どちらも天才ではあるが安定して勝つのはラウダタイプ、となると現在のドライバーは皆さんラウダを目指す。決して意地を張ったりはしない。かくして、ラウダ/プロスト/シューマッハタイプの大行列になってしまう。
あの頃のF-1ドライバーはデッドレースに参加する異常者と言って良く、その分向こう見ずで怖い者知らず。いい子チャンになる必要がなかったとも言える。
言うなれば闘技場でグラディエーターの試合を見ている気分、だから観戦中に事故に巻き込まれてもコミッションを訴える人間など居なかった。(と……思う) だから、観戦客もとことんエキサイトした。ハントとラウダの舌戦は雑誌に格好の記事を提供、しかし その裏にあった二人の葛藤までは知り得なかった。この映画を見て、初めて二人の関係の真相を知り深く感動いたしました。
さぁて、なんぼでも書きたい事が浮かんできますが、あんまりしつこいのもあきませんね。最後に、ハンス・ジマーの音楽が最高!マシンのエグゾーストノートを更に増幅しています。エグゾーストノートはまさにサーキットにいる雰囲気。カメラワークは迫真!今までの総てのカーチェイス作品には無かった視点から撮影されている。監督のロン・ハワードは役者出身でアメ・グラなんかに出ていたが、かのロジャー・コーマン(製作)の「バニシングIN TURBO」で監督デビュー、B級映画まっしぐらに成るのかと思いきやどんどん名作を発表、アボロ13/ビューティフル・マインド/フロスト×ニクソン/ヘルプ……枚挙に暇無し。
すんません、ホンマにそろそろ止めまっさ。レース映画としても、ヒューマンドラマとしても超一級作品です。見て損無しで~す!
『RUSH』
この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。
興奮しました。
76年のF-1シーンを知らなくても絶対エクサイト、且つ感動出来る作品です。
爺婆であろうが若かろうが、およそモータースポーツを愛する者ならハートを鷲掴みされます。絶対にお薦め!
以下、オッサンの感傷であります。お暇な方だけお読み下さい。
私がF-1に夢中になりだしたのは70年頃、まだ今のように全レース中継など無く、モータースポーツ誌でしか詳細が判らなかった頃。二本立てロードショー公開の一本がF-1のドキュメントでした。マイケル・アンドレッティがワールドチャンピオンに成った時の映画で、当時 もう一本が目的で行ったのに、F-1の迫力に圧倒されました。
当時のヒーローは陽気なアメシカン/マイケル・アンドレッティ……ハントもラウダもまだ居ません(彼らはF-3で暴れていた頃)エマーソン・フィッティバルディやジャッキー・ステュワートなんかとマイケルのデッドヒートの時代でした。
今や、F-1carは世界一安全な車、300キロでスピンクラッシュしてもドライバーは安全です。94年の アイルトン・セナ以降、F-1ドライバーの事故死はありません。セナにせよ、あの当時250キロでコンクリート壁に真っ正面から激突しなければ……彼はまだ生きていた筈です。
セナやプロストの活躍より20年前、F-1全ドライバー(25-6人)の内、年平均2人がレース中に事故死しています。クラッシュした車の破片やタイヤが観客席に飛び込んで巻き込まれた観客も多数います。当時は今より観客席がコースに近く、かつ コースの至る所に観戦客がいました。作中、ハントが「走る棺桶」とマシンを表現していますが、まさにその通り、軽自動車のドライビングビュウポイントより 更に低いビュウポイントで、軽自動車並みの自重しかないマシンに500馬力のエンジンが搭載されている。以前、軽自動車にツインキャブ搭載が流行った時、道路からの飛び出し事故が多発しましたが、F-1ドライバーの恐怖はそんなもんじゃなかった筈です。今のように機械的に接地力を付加している訳ではなく、車体前後のウィングによるダウンフォースとタイヤの食いつきに頼るしかない。しかもステアリングもダウンかアップか いずれかの傾向がある。そのため、コーナーでは車をドリフトさせるなどスライドさせてクリアしていく。現在では車をドリフトさせるのはタイムロスに成るため、そんなテクニックは事故車をスルーする時くらいにしかお目にかからない。
現在の車はオートマティックで半分コンピューターが走らせているようなものだが、当時はマニュアルで、しかもクラッチなど踏まない。エンジン回転とスピードを合わせてギアチェンジする。勿論、回転計は装備されているが、殆どはエンジン音の変化で回転数を察知する。あの頃のエンジントラブルの大多数は回転が合っていないのに強引にシフトチェンジする事によって引き起こされています。
さて、本作の76年のシーズンですが、よう覚えております。
やっぱりニキ・ラウダがドイツGPでクラッシュ炎上、生死の境をさまよいながらもシーズンに復帰、最初苦戦したレースの中盤からの激走で4位に付け、ラウダ/ハントのチャンピオン争いに注目が集まった。我がアイドル マイケル・アンドレッティは既に盛りを過ぎたりとは言えまだまだ若いもんには譲らない気迫で、私ゃ相変わらずマイケルを応援しとりました。
この時もテレビ中継は無く、ラウダのクラッシュ炎上も後のドキュメントで見ました。映画の中のクラッシュシーンが、あの時の記録映像そのままなのにはびっくりいたしました。あの頃はジェームス・ハントっちゃあ野獣のプレイボーイでラウダは冷たいコンピューター野郎、全く私の好みじゃなかった。しかし、この頃のF-1ドライバーは皆個性的、今のドライバーはストイックでアスリート性が高くなったけど人間臭さを感じられない。セナ/プロストの競り合い、プロスト引退後シューマッハが非力なマシンでベテランを脅かし始めた頃までが私には面白かった。殊にセナの死後、急速にF-1から興味が失せた。
ワークスチームの浮沈は今も変わらないがドライバーは似たり寄ったりに成った。この頃のフェラーリも低迷していてラウダの参戦から上向きに成った。ハントタイプとラウダタイプ……どちらも天才ではあるが安定して勝つのはラウダタイプ、となると現在のドライバーは皆さんラウダを目指す。決して意地を張ったりはしない。かくして、ラウダ/プロスト/シューマッハタイプの大行列になってしまう。
あの頃のF-1ドライバーはデッドレースに参加する異常者と言って良く、その分向こう見ずで怖い者知らず。いい子チャンになる必要がなかったとも言える。
言うなれば闘技場でグラディエーターの試合を見ている気分、だから観戦中に事故に巻き込まれてもコミッションを訴える人間など居なかった。(と……思う) だから、観戦客もとことんエキサイトした。ハントとラウダの舌戦は雑誌に格好の記事を提供、しかし その裏にあった二人の葛藤までは知り得なかった。この映画を見て、初めて二人の関係の真相を知り深く感動いたしました。
さぁて、なんぼでも書きたい事が浮かんできますが、あんまりしつこいのもあきませんね。最後に、ハンス・ジマーの音楽が最高!マシンのエグゾーストノートを更に増幅しています。エグゾーストノートはまさにサーキットにいる雰囲気。カメラワークは迫真!今までの総てのカーチェイス作品には無かった視点から撮影されている。監督のロン・ハワードは役者出身でアメ・グラなんかに出ていたが、かのロジャー・コーマン(製作)の「バニシングIN TURBO」で監督デビュー、B級映画まっしぐらに成るのかと思いきやどんどん名作を発表、アボロ13/ビューティフル・マインド/フロスト×ニクソン/ヘルプ……枚挙に暇無し。
すんません、ホンマにそろそろ止めまっさ。レース映画としても、ヒューマンドラマとしても超一級作品です。見て損無しで~す!